堀川今出川異聞(40)
いわき 雅哉
第5章 東国の系譜
◇奥州の息吹(1)
「楓、楓て」
柾樹は大慌てで楓の名前を呼ぶ。少し遅れてついてきていた楓は、一体どうしたのかしら、といった面持ちで「はい、先輩」と答えた。
「楓、見てみい、この駒札を」
そう言いながら、柾樹は、今、見つけたばかりの鳥居横に立っている駒札を読むよう楓に指し示した。楓は、何だか怖いものを見せられるかのようにおずおずした表情で、その駒札を覗きこむ。そこにはこう書かれてあった(以下のカッコ内の文章は、筆者注とある部分以外、すべて現物の駒札の実際の表示通り)。
「宇佐八幡宮(大分県宇佐市にある八幡宮の総本宮)から八幡大神を勧請したのが始まりと伝えられ、誉田別尊(ホンダワケノミコト 応神天皇)、比咩大神(ヒメオオカミ)、息長帯姫命(オキナガタラシヒメノミコト 神功皇后)を祭神とする。
もとの名を『内野八幡宮』といい、平安京の大内裏(皇居や官庁があった場所)の北東に位置したため、王城鎮護の神とされた。」
そこまで読んだ楓は、一旦柾樹の顔を見て「だから?」と言うような表情をしたが、柾樹からは「続きを読め」というような顔をされ、再び駒札の後半部分に目を移す。そんな楓の表情が見る見るうちに変化して行ったのは、そこからだった。
「かつて、この地には奥州(東北地方)で産出された金を京で商うことを生業としていた金売吉次の屋敷があったと伝えられ、源義経(牛若丸)が奥州平泉に赴く際に、吉次の助けを得て、ここで道中の安全を祈願して出発したと言われている。
『首途』(筆者注・カドデ)とは『出発』を意味し、この由緒により『首途八幡宮』と呼ばれるようになった。
このことから、特に旅立ち、旅行安全の神として信仰を集めている。京 都 市」
楓は、上気した顔で柾樹の方を向いて口を開いた。
「せ、先輩、こんなところに奥州藤原氏ゆかりの痕跡を残す神社が建っている・・・。
そんな偶然に出くわすなんてこと、あるんでしょうか」
柾樹は、暮れ始めてきた景色の中で美しさを増す楓の表情を見つめながら、素早く口を聞く。
「楓、今度は、いつ、こちらに来れる?」
「うーんと、明後日なら大丈夫です」
「よし決まった。明後日の午前10時にこの鳥居前で落ち合おう。暗くなる中で神社やお寺に入るのはちょっと苦手やしな」
「楓もです。何かあったら、先輩にしがみつくかもしれませんもの」
「ほう、そんなら今から中に入ろか」
「また、先輩ったら」
そんな軽口を叩き合いながら、二人は再び今出川通りに戻って歩きだす。
「楓。軽く食事でもするか」
「いいんですか、先輩」
「楓と一緒やったら、用事があったかて、ない、言うよ」
「嘘でもそう言って下さるなんて嬉しいです、先輩」
「よし、そんなら楓と初めて会った懐かしい喫茶店で、あのお店ご自慢の料理でもどうや」
「いいですね、食べながら明後日の作戦会議ですよね」
「そのとおりや。なにしろ千本釈迦堂からさほど遠くもないあんな場所に、奥州の金売吉次の屋敷があったやなんて、およそ想像もでけへんかったもんなあ」
「そうですよね、先輩。私も駒札の後半を読みだした時には、心臓がバクバクと音を立てました。正に奥州繋がりの第一級のヒントが見つかったわけですもんね」
「そのとおりや、楓。千本釈迦堂を見てるだけでは、なんであんなとこに奥州藤原氏の直系の血筋を引く義空上人があんなに大きな寺院を建てることができたのか、のヒントなんか出てきっこない。やっぱり足で稼いでこそ歴史は蘇ってくるんやなあ」
「学芸員という私の仕事を考える上でも、とても貴重な体験ができたように思います。
目の前に展示する作品だけをいくら凝視しても、その奥にある先人の知恵や足跡は浮かび上がってはきません。物理的にも文化史的にも常に広域的な視野や視点に立って対象物に臨んで初めて、そこに潜む史実や人々の息吹を感じとることが出来るのだ、と言うことを学べたように思いますし、また、そういう取組み姿勢なしでは、人を感動させる展示や研究は決してできないんだ、ということを教えられたような気がします」
そんな話をする楓の顔を見つめながら、柾樹は言った。
「お茶目やと思たら、真面目。ひょうきんやと思たら、深い。楓は一体どこからどこまでがほんまの楓なんや」
「先輩はまた何か企んだはるな、そんなことを言わはるということは。そんなことより、どうしたら金売吉次さんに会えるのか、を真剣に考えはることが大切なんと違いますか」
このままでは僕は完全に楓のとりこになってしまう、いや、もうとっくになってしまってるんやないか・・・・柾樹はそんな感懐を胸に、ようやく到着した懐かしい喫茶店「もとはし」のドアを開けた。
( 次号に続く )