堀川今出川異聞(39)

いわき 雅哉

 

智恵光院通の名前の由来となった智恵光院の現在の山門  撮影 三和正明

第5章 東国の系譜
◇千本釈迦堂の謎(10)

 夕暮れの今出川通りを二人は帰途についた。先ほどまであんなに饒舌だった二人が、黙りこくって歩いている。このまま歩いて堀川今出川の交差点に着いてしまうと、柾樹が大阪に帰る楓をバス停で見送る形で今日の二人の別れの時を迎えねばならなくなる。二人はそのことを共に予期していたからだ。

 その沈黙を断ち切るように楓が口を開く。
「今日の先輩のお話で、千本釈迦堂の謎は解決したということになれば、もう私の役割もおしまいなんでしょうね」

「ん? どういうこと?」

「だって、萌さんから千本釈迦堂に先輩をご案内して、って言われたので私はこちらにやってきたんですが、その千本釈迦堂の一連の謎も先輩のユニークな解釈で一応の決着をみた以上、お役目満了ってことになるのかしら、と思って・・・」

 そういう楓の瞳が心なしか潤んで見える。柾樹は、そんな後輩のいじらしさに少しドギマギしながらも、わざと男らしくこう言った。

「楓、何を言うんや。僕の身勝手な屁理屈をつけた講釈をしたからと言うて、なんでそれで千本釈迦堂の謎が解決したということになるんや」

「えっ、まだ解決していない部分があるんですか、先輩」

「当たり前やろ、楓。そんなことで学芸員が務まるんか、楓。もっと根本的な大疑問が残されたままやないか」

「根本的な大問題?」

「そうやあ、根本的な大問題や。それに比べたら今までの推理ゴッコなんてチンマイ話や」

「エー、先輩、まだそんなおっきな問題が残ってましたあ?」

 まだ、解決していない課題が残っていると聞いて、楓は持ち前の明るさを少し取り戻したようだ。

「残りまくってるわ、楓。それは一体何やと思う?」

 そう柾樹に問われた楓は、賢そうな目をくるくると動かし、人差指で頬をつっつきながら小首をかしげる。その様子がまた可愛くて、柾樹は思わず見入ってしまう。

「先輩、ちょっとだけヒントを下さい」

「楓は勘がええからほんのちょっとのヒントで正解してしまうよって、ヒントの出し方が難しいなあ」

 そう言いながら、勘の良いところもまた柾樹がこの後輩をいたく気に入っている部分であることを実質白状してしまっている。

「そうやなあ・・・。よし、ほんならヒント言うで」

「はい、先輩」

「それは、このお寺の最初の部分にあります」

「最初の部分・・・・分かりました、先輩」

「ほら見てみい。ヒントが甘すぎたわ。楓のその顔はもう当てましたいう顔やもんな」

「そんな。先輩にそれだけ言われて外したら、楓はもう先輩には相手にされなくなりますよね」

 内心、柾樹はつぶやいた。「楓がどんなに頓珍漢な答を出したかて、もう好きになってしもうたから、関係ないわ。頓珍漢な答えも大歓迎や」と。そんな柾樹の心中を知ってか知らずか、楓は再び頬に指を押し当てて、やがて口を開いた。
「なんで、奥州藤原氏の系譜を引く開祖がこの地にこんなに立派なお寺を建立することができたのか・・・。ですか?」

 一瞬、柾樹は驚いた顔になって楓をみつめると、やがて「ピンポーン、当りや、楓」と相好を崩した。楓はホッとしたような顔をしながら「よかった、当って」と笑顔を返した。

「なんでそんなに勘がええんや、楓は。大正解や。考えても見てみ。このお寺は鎌倉時代に創建されてるんやけど、その鎌倉政権こそが奥州藤原氏を滅亡させた張本人やったんやで。その直系の血脈をもつこの寺院の開祖義空上人に、この地での立派な伽藍の建立を許可した背景には何があったんや、というテーマこそが、この千本釈迦堂最大の謎やと僕は思うんや」

「確かにそうですよえね、先輩。その謎を解かないことには私たちの行脚は終わりませんよね」

 そういう楓の嬉しそうな表情に、好意をもっているのは柾樹のほうだけではなく楓もまたそうなんだ、とのメッセージを感じとって、今度は柾樹の目が潤みそうになった。が、ここでも柾樹は少々肩肘を張り、真面目な顔でこう言った。

「ええか、楓。このテーマは、電子辞書を引いて解決するような問題やないで。実際の歴史的な裏付けを見つけた上で、推理を深めていかんとあかん。そういう厳しい謎ときになるんやけど、楓は真剣に臨むことができるか」

 偉そうにそう楓に言いながら、結局は楓とのコンビを解消したくない柾樹の本心が垣間見えて、恋の達人がこの様子を見たらプッと吹き出すに違いない、と柾樹ははにかんだ。

 そんな話をしながら二人は今出川通と大宮通とが交差する四つ角に達していた。この交差点の右側には、かつてこの付近が昔「千両が辻」と呼ばれるほどに繁栄した場所であったことを示す立札が立っている。

 二人は、ひとしきり話を弾ませたあとの穏やかな沈黙モードに入っていた。同じ沈黙でも、千本釈迦堂を出た後の沈んだ感じの沈黙とは異なり、どこか二人の間に春風のようなものが吹いているといった感じの沈黙だった。柾樹は、そっと楓の手をとって歩きたい衝動に駆られていたが、いつもの痩せ我慢癖が出て、素直になれない。つくづく損な性分だと柾樹は自分の弱さを哀しく思う。

 そうこうしていると大宮通よりもはるかに道幅の広い智恵光院通が南北に走っている交差点に到達した。智恵光院通に沿ってこの交差点を少し南に下ると、この通りの名称の由来となった智恵光院がある。永仁2年(1294)の創建になる浄土宗の古刹で、もともとは関白鷹司家の菩提寺として隆盛を極めたが、江戸の二度の大火や第二次世界大戦下での強制疎開・塔頭四院の廃寺等の過酷な運命に翻弄され、過去の栄光を伺い知ることもないままに境内は静まり返っている。

 この交差点まで来ると、別離のバス停まではほんの少しの距離だ。解明すべき千本釈迦堂の最大の謎がまだ残っていると言う共通認識が二人の間に確立できたとはいうものの、夕暮れで今日はこれまでという別れの予感はやはり辛い。折よく交差点が赤信号になったのをいいことに、柾樹はほんの少しの時間稼ぎをしたい気持ちもあって今出川通を左に折れ、智恵光院通を北上する形でゆっくりと歩きだした。楓も、柾樹が一体どこにいくのかしら、というような表情で一緒についてくる。

 すると、ものの10メートルかそこらを歩くか歩かないかのところに「八幡宮」と書かれた額が掲げられた小さな石の鳥居が目に飛び込んできた。鳥居横には、この場所の由来を記した駒札がぽつんと立っている。今しがた左に折れてきた四つ辻の信号が青に変わるのを気にしながら、何気なくその駒札に目をとおした柾樹は、突然、体に稲妻が落ちたかのような衝撃を感じて、一歩も動けなくなった。

( 次号に続く )