堀川今出川異聞(35)

いわき 雅哉

 

境内の紅葉に映えるおかめ像はあのお内儀とは別人に思えた。 撮影 三和正明

第五章 東国の系譜
◇ 千本釈迦堂の謎(6)

 本堂の中から境内の見事な枝垂れ桜を見つめながらも、柾樹と楓は、二人の横で打ち沈んだ表情で立っているおかめさんのことが気にかかってしようがなかった。

 柾樹は思い切って口を開いた。
「お内儀さん、境内で見る枝垂れ桜も美しかったですが、この本堂から見下ろす枝垂れ桜の風情はまた格別ですね」

「そう感じて下さると嬉しゅうございます」━ 少し頬を拭いながら、おかめさんは美しい笑顔で微笑んだ。

「こんな美しい光景だけを拝見していると、先ほどお内儀さんがおっしゃった本堂建立に当たっての第二の難関があったなんて想像もできません。宜しければ詳しくお話いただけませんか」━ 柾樹はそう切りこんだ。すぐ横で柾樹に寄り添うように立っている楓も固唾を飲む。

「分かりました。このお寺の創建に関わる全てをお話しなければいけませんものね」
おかめさんは、意を決したような表情でそう言うと、本堂の窓辺から離れて建物の中央部あたりにゆっくりと移動し、先ほど話の出た4本の銘木の柱を見上げながら静かに話し始めた。

「あれは中央部分を支える銘木が無事入手できて遅れていた工事が順調に進みだしてしばらくのことでした。長井が顔色を変えて私にこう言ったのです。
『おかめ、俺は大変な失態をしでかしてしまった』と。その狼狽ぶりと落ち込んだ表情は、銘木が手に入らないと困惑していた時よりもはるかに切羽詰まったものでしたから、ことの重大さに私も思わず『どうなさったの、一体、何が起こったの』と詰め寄ったほどでした」

「・・・・・・・」

「長井は、最初は私の問いかけにも反応せず、顔色も真っ青でただおろおろするばかりでしたから、私もそれ以上なんと声をかけてよいものやら心中穏やかならざる状態でしたが、思い切って長井に言いました。『棟梁。何をそんなに慌てているのです。困ったことが起きるのは当たり前のこと。この都の地に大きな寺院を建立しようというのですから、天神地祇が棟梁の度量を確かめようとさまざまな仕掛けをしてくることなど分かり切ったことではありませんか。その一つ一つに一喜一憂していて何とされましょうや。都中にその名の知れた天下の棟梁が自分を見失うような無様な振る舞いだけは、いつ、どんな時でも避けねばなりませぬ。そうでなければ、棟梁を慕って日夜心血を注いで仕事に携わっている現場の多くの職人にしめしがつきますまい。ささ、今度はどんな難題が天から降ってきたのでしょうか、このおかめにも打ち明けてくださらんか』と・・・・」

 そこまで言うと、おかめさんは一息ついて少し間合いを置いた。で、この間、息をつめて話を聞いていた柾樹も楓も、思わず呼吸を再開した。

「私の話を聞き、私の目を見た長井は少し落ち着きを取り戻し、口を開きました。『今しがたおかめはこの私のことを【都中にその名の知れた天下の棟梁】と言ったな。かく申す自分も、今のいままではそのように自負もし、誇りにも思うておった。が、今回、その自負や誇りが正に音を立てて崩れ落ちてしもうたわ』。 そういうとがっくりと肩を落とし、長井はさめざめと泣き始めました。
 そんな長井を見たのは勿論はじめてのことでしたので、私もどうしてよいものか戸惑いながらも心を鬼にして言いました。『棟梁、天下一の棟梁。泣いて済むような話ならそこでいつまでも泣いておりゃれ。泣いて済むような程度の難題を天神地祇が天下一の棟梁長井飛騨守高次にお与え給うたと思うてか。棟梁、そんな軟弱な心構えでこの大仕事に臨んでおったとは天神地祇に申し訳が立ちますまいぞ』と」

 そのおかめさんの気迫に、柾樹と楓は思わず姿勢を正した。鎌倉時代の名のある女性が放つ心意気が800年の時空を超えて、今、降臨してき思いがしたからだ。

 そこからおかめさんは少し肩の力を抜いて物静かな口調になると、棟梁が告白した内容について語り始めた。
「長井が申しますに、あの大切な4本の柱の寸法どりをするに当って、そのうちの一本を誤まって短く切ってしまうと言う大失態をしでかした、というのです。あの名人上手に限ってそんな誤りをおかすなどとは私も信じられなかったのですが、自らの間違いでこの大切な本堂を建てることができなくなったと塞ぎこむ長井に、私も言うべき言葉を失い、思わず『棟梁、明日の朝までお待ち下さい。おかめも共に悩みましょう程に』と何の当てもないのに、そう口にしてしまいました。」

「え、それって、あの摂津の豪商から寄贈されたという4本の銘木のうちの1本のことですか」

「おっしゃる通りです。あまりのことの重大さに私は、その日、床につくことなく一心不乱に神のご加護を念じました。そして明け方、一筋の光と共に神が降臨され、私にこう囁かれたのです。『マスグミを施すように長井飛騨守に伝えよ』と」

「マスグミ、をですか」

「はい。私は大急ぎで長井に『棟梁、マスグミを施せ、との神様のお告げにございますぞ』と申しました。と、長井は『おお、そうじゃった。マスグミをな、マスグミを、とな』と口にするや脱兎のごとく表に駆けだしていきました。この神のお告げの一言で、この本堂は無事落成したのです」

「ほう。で、そのマスグミとはどういうことを言うのですか」

「私も古い記録で見たことがありますが、マスグミとは別名トキョウとも言う建築手法の一つで、漢字では『斗栱』と書いて、建物の柱の上にマス『斗』とヒジキ『肘木』とを組合わせた構造物を載せ、それで軒を支える役割を担わせる部分のことを言います。このマスグミを柱の上に載せることで、短く切ってしまった銘木の長さを復元することができただけではなく、柱の上の形の美しさが実現されたことで、この仕事は長井の名を一段と高めることになりました」

「そうだったんですか、では、むしろ怪我の功名になったわけですね」

 柾樹と楓はほっとした表情で、おかめさんにそう言った。が、おかめさんは依然として憂いに満ちた表情を崩すことなく、「少し疲れました。しばらく休ませて下さい」と言い残して本堂から姿を消した。

「柾樹先輩、こんなに風格のあるこの本堂の創建時に、そんなドラマがあったとは思いもよらなかったですね」━ 楓は長い緊張から解放されてホッとしたような口調で、柾樹にそう言った。

 柾樹も息をつめて話を聞いていたこともあり、おかめさんが休息している間に我々も少し息抜きしようか、と楓に言い、先ほどから気になっていた枝垂れ桜の手前にある銅像のようなものをちょっと見に行かないか、と楓を誘った。

 二人は本堂を出て、その像の前まで足を運んだ。と、そこには「おかめ塚由来」と書かれた説明板があって、その最後の方に、正面の台座の上に正座をしてにっこりと笑みを浮かべているおかめさんの大像は昭和54年の春に有志によって造立された、と書かれてあった。

 が、目の前のおかめ像の表情は、先ほどからずっと二人で話を聞いていたあの長井飛騨守の内儀のおかめさんの風貌とは似ても似つかぬものであり、改めて二人はその「おかめ塚由来」と書かれた説明板を最初からじっくりと読み始め、ちょうど中ほどまで読み終えたところで柾樹は大声で楓に言った。

「しまった、楓。直ちに本堂に戻るぞ!」

 柾樹はそう言うや否や本堂に向かって脱兎のごとく駆けだし、楓も「よしきた」とばかりに柾樹のあとを追っかけた。

( 次号に続く )