堀川今出川異聞(24)
いわき 雅哉
第四章 洛西慕情
◇ 山名家残照(3)
柾樹は、萌に正解を伝えるために、先ほどのお堂の前の駒札のところに戻り、改めてそこに書かれている文章をじっくりと読みなおした。と同時に、最初にこの文章を読んで、そのあらすじだけを理解し、萌に通り一遍の読後感を披露した時に、萌が落胆して言った言葉を思い起こしてみた。
萌が言ったその言葉とは、「書かれてある文章をただそのまま読んで理解したつもりになるのではなく、その記述の背後にあるもの、奥底に沈澱しているもの、底流に流れているもの、もっと言えば、その記述には書けなかった真実そのものに触れようとする強い気持ちがなければ、史跡を訪ねる意味がないではありませんか」というものだった。
そう言われたことを思い起こして読み直してみると、確かにこの駒札の文章は、実際に事態のプロセスとして生じていたさまざまな多くの重要な事実は捨象し、その結果として実際に起こった歴史的事実だけが書かれた格好となっている。例えば、山名氏清がなぜ将軍家に兵を差し向けるに至ったのか、という「明徳の乱」の原因について、この駒札は一切触れることなく、ただ、氏清が謀反を起こした、とだけ書くことで、その後の将軍家の行為の必然性が全く見えなくなってしまっているという事態を招いてしまっている。静かに振り返ってみれば、そもそも「明徳の乱」とは、先日、柾樹が山名家を訪れた時に当主の山名持豊がしんみりと話し聞かせてくれた自身の祖父の山名氏清の苦労話の中心に置かれていた事件ではなかったのか。
そんな思いで今一度駒札を仔細に読みなおしてみた柾樹は、その書かれ方が余りにも足利義満サイドに立っての記述に終始し、山名家側の思いなどは一顧だにされていないことに気がついた。
「そうか、そうだったんだ。最初にこの駒札を読めと萌さんに言われた時に、僕はその事実にすぐに気がつかねばいけなかったんだ」
そう感じた柾樹は、思わず萌の佇んでいるほうに目をやり、にこっと笑顔を見せた。
萌も柾樹の気持ちを察知してか、すかさず美しい笑顔で柾樹に応える。
柾樹はやおら萌の元に立ち戻り、口を開いた。
「萌さん、答が分かりました。なぜ先ほど感想としてそれを言えなかったんだろう、と少し恥ずかしく思いました」
「鍛心庵さま、ぜひその答をお聞かせ下さいまし」
「ええ、これで不正解なら僕もあきらめがつきます。潔く申し上げましょう」
「萌も全身でお答えを拝聴しますわ」
「分かりました。申し上げます。あの駒札には、たった一言『「山名氏清が将軍家に叛いて兵をあげた』とだけ書かれていますが、その『明徳の乱』こそ、あの日、山名持豊公が僕に話して下さった足利義満による氏清抹殺とその後の山名家凋落を招いた悪夢の事件だったことを思い出しました。もし駒札に書かれているように、単純に山名氏清公が将軍家に叛いて兵をあげたというような謀反の闘いであったのなら、後の世に当の謀反人である氏清公のために義満公が盛大な法要を営む必要などあろうはずがございますまい。
にも関わらず、義満公は、なにゆえに氏清公のためにかかる大堂を建て、かくも盛大な法要を営んでその霊を慰められたのか。その点に疑念とヒントを嗅ぎ取りつつ、この駒札を読むべきでした」
「・・・・・・・・・」
「そこには、将軍家にとって侮れない強大な勢力をもつに至った山名一族の力を削ぐために義満公が画策された恐ろしい陰謀があり、そうだからこそ自らのあまりにもひどい仕打ちに対して、当の義満公ご自身が深い懺悔の念と氏清公の怨念への強い恐怖心を抱かれるに至った。それが事件後、莫大な経費をかけて、手厚過ぎるほど念のいった供養や法要を積み重ねられるに及んだ動機であり、背景ではなかったでしょうか」
「・・・・・・・・・」
萌は、先ほどとは打って変わった表情で真剣に話す柾樹の話に耳を傾けながら、じっと眼を閉じた。その瞼からはハラハラと涙がこぼれおち、それが、美しい萌の顔を一層荘厳なものに変える。
そんな萌の表情を見つめながら、柾樹はなおも静かに話を続けた。
「たしか先日の持豊公のお話では、持豊公のお父上の時熙公は、そんな義満公の腹の内を十二分に知り抜いた上で、思いを押し殺して将軍家にお仕えになり、身体を張ってその信頼を勝ち取られた結果、所領や高い職位への復活など山名家復権の道筋をおつけになったとお聞きしました。
そうした山名家の言うに言われぬ臥薪嘗胆の苦労・忍耐があったればこそ、今の山名一族があるのだ、とのお話には、正直驚きましたが、そんな史実が一切捨象された駒札の説明からは、なぜ義満公が、謀反人であるはずの氏清公のために、わざわざ大きなお堂を建ててまで盛大な供養を思い立たれたのか、が全く理解できず、むしろ義満公は案外お気持ちの優しいお方だったのではないか、とさえ思ってしまうほどでした」
萌の涙が止まらない。
柾樹は柾樹で、萌にそんな思いを話しながら、今、初めて、持豊公と会って話をした時の、山名の人間としての複雑な思いの真意をやっと理解できたような気がしていた。柾樹が山名家を訪れたその日、祖父・父の二代に亘って山名家を苦しめた義満公への、口には出せない怒りを腹にしまいつつ、赤松満祐による足利将軍義教殺害事件(嘉吉の変)での足利将軍家への敵討ちに出陣しようとしていた山名持豊の複雑な思いと、雑談の中で持豊がふと漏らした「尊氏公は好きだが義満公は・・・」との言い回しの謎がようやく読み解けたように感じられた。
柾樹は、過日、西陣の東の端にある山名邸で若き日の宗全すなわち持豊と会ったのに続き、今日は、ここ西陣の西の端にある大報恩寺千本釈迦堂の不動堂と旧「北野経王堂願成就寺」の縮小復元堂の前で再び宗全と再会できたような実感に襲われ、やはり西陣は紛れもなく山名の本拠地なのだ、という沸々たる思いを新たにした。
そんな思いにふける柾樹の目の前で、萌が涙をぬぐいながら言った。
「鍛心庵さま、この1枚の駒札からよくぞそこまで読み解いて下さいました。山名の家に寄宿している萌は勿論、山名の一族もどれほどに感じ入っていることでございましょうか。そのお礼に、と言ってはなんですが、今この時期には見ることのできない光景を鍛心庵さまのためにお見せしたいと思います。どうか、こちらをお向き下さい」
そう言って萌は柾樹の手をとり、千本釈迦堂境内のほぼ中央部にそそり立っている一本の大きな木の方へと柾樹の身体を向けさせた。通称「おかめ桜」と呼ばれる枝垂れ桜の大木だ。この時期にはすっかり葉を落とし、地上にまで垂れ下がっている長い何本もの枝だけが枝垂れの規模の大きさを表している。
「鍛心庵様、萌がどうぞと言うまでの間、しばらく目をお閉じ下さいませ」
言われるままに柾樹はそっと目を閉じた。先ほど萌が手をとってくれた時の優しい感触が、目を閉じると再び蘇ってくる。あのままあの手を重ねておいてくれればよかったものを、と思いながら、柾樹は萌の合図を待つ。その間、細目を開けてそっと見てみたいとの誘惑に駆られもしたが、そんなことをしたら全てが掻き消えてしまうかも知れない、と思い直し、まるで小さい子が目の周りに皺をよせながら必死に瞼を閉じるようにして、柾樹は萌の合図を待った。
萌の「鍛心庵さま、どうぞ」と言う声が聞こえたのは、それからほんの数秒後のことだった。瞼を開いた柾樹の目の前に、今の今まで枯れ枝同然の無表情な姿をさらしていた枝垂れ桜が春爛漫の大満開に変身し、四囲にその艶やかな風情と香りを漂わせている。柾樹は、まるで子供のように「わあーっ、凄い」と歓声をあげた。
( 次号に続く )