堀川今出川異聞(20)
いわき 雅哉
第四章 洛西慕情
◇ 再び喫茶店にて
柾樹は、萌と並んで、等持院の方丈から出口に通じる長い廊下を通って外に出た。その時、なんとなく背後からの視線を感じて振り返ったら、柔弱な柾樹を叱りつけるような表情の達磨大師の絵が薄暗い廊下の奥で睨みを効かせていた。一瞬、柾樹は、目の前の萌のことしか眼中にない自分が責められている気がしてギョッとしたが、そんな柾樹のことに気づいてか、萌は柾樹の背後を守り庇うようにして、出口へと急がせた。
その萌の凛々しい色気に、柾樹の思いはまたぞろ募るばかりだった。夕日を浴びながら、これから堀川今出川へとそれぞれの家路につくのだが、柾樹は、このままいつまでも萌と歩いていたい、と心の底から思っていた。そんな気持ちを萌に打ち明けたいのだが、どう言ってよいものか、も分からず、言葉があれこれと柾樹の胸のうちを空転した。二人の間に長い沈黙の時が流れ、柾樹は、せめてゆっくりと歩くことで、一緒にいられる時間をできるだけ長くしたいと思うほかなかった。
ようやく今出川通に出たところで、柾樹は意を決して口を開いた。
「萌さん、お願いがあります。今度会える時があれば、持豊公ゆかりの場所に連れて行ってもらえませんか。」
言われて萌は少し怪訝な表情で、「持豊様ゆかりの場所に、ですか」と聞き返す。
「はい、持豊公がよく行かれるような場所に私も行ってみたい、と思いまして」
「そうですか、鍛心庵様は、尊氏公だけではなく持豊様にもご関心がおありなんですね」
「はい、特に、持豊公とは先日色々とお話出来たこともあって、なんとなくそのお人となりに関心を抱いたものですから」
「鍛心庵様はすぐにお人がお好きになるんですね」
「そう言われればそうかもしれません」
「だから萌のことも、そうなんだ」
そう言って萌は悪戯っぽくプイと顔をそむけた。
柾樹は慌てて言う。
「い、いや、そ、それは全然違います。萌さんへの思いは格別なものです」
「いいんですのよ、鍛心庵様、そんなにご無理をなさらなくても」
「いや、萌さん、本当ですよ、僕の気持ちは」
「鍛心庵様、分かりました、ご案内させていただきますわ、持豊様ゆかりの場所に」
「ほ、ほんとうですか。で、いつ頃?」
見苦しいほどに問い詰める柾樹の心の内を見透かしているかのように、萌は落ち着き払って答える。
「日にちまではまだ決められませんが、でもきっと」
「とはいってもご連絡はどのようにしてお待ちしていればいいんでしょうか」
「近々ご連絡させていただける機会が必ず参りましょうから、その時にでも待合わせの日にちと場所をお伝えいたします」
柾樹は、そんなうまい具合に連絡がもらえる機会など来ようとは思えなかったが、これ以上しつこく問い詰めれば萌に嫌がられるだけだと思って、おとなしく「わかりました」と引き下がった。
気がつけば二人は、堀川通と今出川通とが交わるところまで歩いてきていた。ここからは、萌は北に、柾樹は少し南に下がる。柾樹はもっと一緒にいたい気持でいっぱいだったが、そのしつこさで萌に嫌われたくないという一心から、先に口を開いた。
「ここからだと萌さんは左に折れなければいけませんね」
そう言いながら、ふと萌の表情を見ると、その目がまたうるんでいる。しまった、余計なことを言ってしまったか ―― 柾樹は後悔しながら、じっと萌をみつめた。
「鍛心庵様、今日はとても楽しゅうございました。またお目にかかりたいので、必ずご連絡をいたします。」
萌は、うるんだ瞳で、はにかみながらそう言った。
「萌さん、きっとですよ。絶対にご連絡をお待ちしていますからね」
萌は、何も言わずにただこっくりと頷いた。うるんだ瞳が萌の美貌をますます引き立てている。
「では、鍛心様、こちらで」 萌はそう言うと、周囲の人に気取られないよう、腰のあたりで掌を2,3度ゆらすように振り、にっこり笑って踵を返した。柾樹も同じように腰のあたりに手をやり、今風にいえばバイバイのような仕草で別れのシグナルを送り返そうとしたが、萌の姿はもう柾樹の視野から掻き消えていた。
柾樹は、いいようのない寂しさを感じながら、久しぶりにいつもの喫茶店のドアを押し開けた。
「あれ、淡見さん、また、どないしはったんえ、こんな時間にお珍しい」
「いや、ちょっと出歩いていたんですが、何やら疲れてしまって」
「疲れた時しか顔見せてくれはりませんなあ、淡見さんは」
「そんなことないでしょう、しょっちゅう顔を出してるじゃないですか。ただ、確かに今日は、何だかえらい疲れてしまって・・・」
「ははあ、そうか、振られはりましたか、淡見さん」
「えっ、何と言うことを」
「ほら、当たりや、当たりでしょう、淡見さん。まあ、ここは、コーヒーでも飲んで気を落ちつけなはれ」
「参りましたねえ、ママには」
「いや、ママだけちゃうえ。うちかて店に入ってきはった瞬間、わかりましたえ」
口さがない妹のほうも、負けじと口をはさむ。
「ほんで、やっぱり別嬪さんでしょ、その人は」
「そりゃもう」―― ママと妹の巧妙な口車に乗せられて、柾樹は萌との仲を白状させられる。ちょうど他に客がいないのをいいことに、柾樹は、コーヒーを飲みながら、一人胸の内に貯め込んできた思いを吐き出すように猛スピードでしゃべり始めた。初めて出会った時代祭りの帰り道でのこと、やがて近くの山名宗全邸跡を訪ねた時に、その邸内でお茶を振る舞われる形で再び会ったこと、その時の山名氏による紹介で、この人が落ち着いた美人に見えるのに、その実、慌てんぼうで早とちりという楽しい性格の人だと聞かされたこと、そんなその人に偶然等持院で再会し、それが初めてのデートとなったこと、その時に、その人はなぜか目に涙をいっぱいためていたこと、また、その帰り道の別れ際でも目を潤ませていたこと、2度目のデートの申し出は受けてくれたが、いつ連絡がくるのかは分からないこと、そんなこんなでつい今しがた別れてここに立ち寄ったこと、などを一人で一気呵成に喋りまくった。
黙ってこの話を聞いていた二人は、顔を見合せながら言った。
「淡見さん、一辺聞いただけではさっぱり分からん話やけど、ちょっと気いつけはったほうがええんちゃいます?」
「え、どうして」
「なんでて、その人、そもそも何時代の人ですのん。山名邸で会おた(会った)て言わはりましたけど、その場所にはただの石碑が立ってるだけやおへんか。そこの邸内に入れてもろてその人に会おたて、淡見さん、ちょっとおかしなったんちゃいますう?」
「いや、そんなことはないですよ。仮におかしなことであっても、その人はほんと最高の人です。一度ここに連れてきたいですわ」
「よっしゃ、いっぺん連れてきて。うちら見定めたげます。こう見えてもうちら女性には厳しいよお。うちらの観察力にその人耐えられるやろか」
「ぜひお願いしますよ。その代わり、これは参ったという時は素直にそう言って下さいよ」
「誰が参りますかいな。ただね、淡見さん、その人、初デートで涙流しはった、て言いましたよねえ」
「ええ」
「そこちょっと引っかかりますねん、うちら。淡見さんがベタボレなのは分かりましたけど、その人はどうなんやろ」
「ということは僕の片思いということですか」
「いや、そやのうて、その人も淡見さんのことが好きやけど、なんか素直に好きと言えん何かがあるんとちゃいますう? そうでないと泣きませんで、ふつうは」
「どういうことですか、それは」
「せやからね、何かその人にはうちらでは分からん事情があって、それが本来なら嬉しいだけのはずの場で、泣いてしまうことに繋がってるんとちゃいますやろか」
「そうかなあ」
「あんね、淡見さんね、この人との最初の出会いからしてちょっと不自然や思われへん?。自然なきっかけがあって仲良くなっていったのとちごうて、何かその人のほうに狙いというか、不純とは言わんまでも特別の動機というもんがあって、それで淡見さんに近付いてきて、淡見さんはその虜になった。そこから山名邸での出会い、さらには等持院での、これまた突然というか偶然の出会いでしょ。なんぼなんでも出来過ぎた話でしょ。淡見さん、気いつけはったほうがよろしいで。京都は怖いとこやさかい」
「そんな、驚かせないでくださいよ。よし、そんなら今度、山名氏ゆかりの地へ連れて行ってもらう時に、思い切ってあの突然の涙の訳を僕は聞いてみますよ」
「気いつけやあ。いきなりギャーというようなことにならんようにせんと」
「やめて下さいよ。今晩寝られないじゃないですか。でも、あの人に限って、そんなことは絶対にないと僕は思うなあ」
そう言われてみれば、たしかにそうだった。柾樹にとっては萌は一目ぼれするほどの美人だから、柾樹の方が萌に首ったけになるのは分かる話だが、そんな美人の萌が、格別ハンサムでもない柾樹にいきなり好意を持つ必然性は、なかなか考えにくいことだった。
「淡見さんて、絶対にその人この店に連れてきて。うちらがこの謎を解くお手伝いするさかいにね」
柾樹は、二人に感謝していいのか、却って話をややこしくしてしまっただけのことなのか分からないまま、疲労感を倍加させて、マンションへと帰って行った。
( 次号に続く )