堀川今出川異聞(8)

いわき 雅哉

 

時代祭での楠木正成公「楠公上洛列」の勇姿  撮影 三和正明

時代祭での楠木正成公「楠公上洛列」の勇姿  撮影 三和正明

第一章 有為転変の幕開け

(3)覚醒の秋

 ◇ 時代祭

 柾樹にとって初めての京都の夏は、こうして終わった。

 あの托鉢僧の言ったことに挑戦して見ようというわずかな闘争心が、柾樹の心の奥底にまだ僅かに残っていたからか、それとも托鉢僧に「一知半解」と指摘されたことがよほどの衝撃だったためか、は、よくわからなかったが、それでも何とかその日を境に、柾樹は、ただ打ちひしがれているだけの状態から立ち直ろうと意識し始め、引続き京都暮らしを続けてみようと言う気になりだした。

 こうして京都の初秋は過ぎ去り、街中に「時代祭」を告げるポスターが貼られ始めた。柾樹は、そのポスターの巴御前とも思われる馬上りりしき美女の視線が、グジグジしている自分の女々しさを責め立てているように感じられ、男として恥ずかしく思う反面、そのりりしき美女になら責められてもみたいという不思議な感覚に陥った。

 托鉢僧に喝を入れられるまでは外に出る気力さえ失っていた柾樹だったが、このポスターの美女に少しずつ生気を吹き込まれたせいか、10月22日の時代祭当日は、久しぶりにいそいそとした気分でマンションを出て御所に向かった。ひょっとして巴御前風の美女に会えるかもしれない、という思いも秘めて・・・。

 時代祭の長い行列の出発点となる建礼門の前に柾樹が到着したのは午前11半ごろ。祭の行進は正午ちょうどに始まった。
 まずは大きな馬車が3台ばかり観客の前を通過する。名誉奉行という肩書きで京都府知事以下が乗り込み祭りの開幕を告げるためだ。明治から順に時代を遡る形でそれぞれの時代衣装を身にまとった人々がパレードする時代祭はこうして始まった。

 まずは明治維新の雰囲気の再現。筆頭を行進する「維新勤王隊列」は、明治維新の際、官軍に参加して幕府軍の反抗制圧に赴いたという丹波山北村の有志を偲ぶもので、鼓笛隊の先導のもと堂々の行進だ。そのピーヒャラドンドンドンと聞こえる笛・太鼓の演奏を聴きながら、柾樹はこみ上げてくる涙を禁じ得なかった。葵祭で牛馬の横を歩きながら涙ぐんだ時とは異質のある種の申し訳なさが、その涙の源泉だった。

 あの頃、この国の体制一新を巡る大混乱と価値観の大転換に遭遇した先人達は、勤皇であれ佐幕であれ、それぞれの主義主張に命を賭けて国難に臨んだ。その覚悟と行動のおかげで今日の日本の繁栄が到来したのだと思うと、今のこの国の経済本位の立国姿勢と自分自身の覇気のなさが本当に申し訳なく感じられ、涙したのだ。久しぶりに頬を伝う熱いものが柾樹の萎れた心に潤いを満たしてくれるような感覚に、柾樹は甦ったような気がした。

 目の前には維新の立役者が次々と行進していく。桂小五郎、西郷吉之助、坂本竜馬、中岡慎太郎、高杉晋作。柾樹は、意気地のない自分の目の前を行進していくそれら先人の生き様を感じとって、穴があったら入りたい思いに駆られた。

 と、今度は、強烈な尊皇攘夷の思いが実ることなく空しく都を追われた7人の公卿たちが落ち延びていく「七卿落」の列が通り過ぎていく。柾樹はその七卿の姿にこのところの自分の心境を重ね合わせ、「落ちていく」という言葉に一層のリアリティを感じとっていた。

 次に続く行列は、志半ばにして落命していった橋本左内や吉田松陰たちの行進。目の前を行く彼らの無念さに思いを寄せながら、これまでおよそ腹など括ったことのない自分の人生や、自分で決心したことでさえすぐにグラグラと揺らいでしまう己のひ弱さを深く恥じていた。

 気がつくと目の前の行列は江戸時代の行進に移っている。
 最初に「徳川城使上洛列」が登場する。幕府が朝廷の儀式に臨む際の行列の再現だが、先頭を行くヤッコのパフォーマンスが楽しく、城使・名代などの衣装もきらびやかで、ぜがひでも江戸時代のホンモノを見てみたいという気になったほどだ。

 続いて「江戸時代婦人列」。蓮台に乗った皇女和宮や島原の名妓吉野太夫、歌舞伎の創始者出雲阿国などが通り過ぎていく。中でも皇女和宮は、柾樹が住んでいる堀川今出川から歩いて少しのところにある通称「人形の寺」宝鏡寺に一時期身を寄せ、そこの一角にある鶴亀の庭で遊ばれたという謂れがあるだけに、食い入るように見入ってしまった。

 さあ、安土桃山時代だ。「豊公参朝列」で豊臣秀吉が、また、「織田公上洛列」では馬上意気揚々たる織田信長が羽柴秀吉、丹羽長秀、滝川一益、柴田勝家らを従え、行進してくる。各武将ともに、きらびやかな甲冑に身を固めて、威風堂々の行進だが、これなど実際にその雄姿を見た当時の都の人々は、どれほどにそのカッコよさに目を見張ったことだろう。太陽の光を受けて華やかにキラキラと光る甲の前立て、どの一頭をとっても超一流の名馬、付き従う武将・兵卒の気合のこもった表情など、ここでも柾樹は、益々ホンモノを見てみたいという気持ちを強くした。

 いよいよ室町時代。「室町幕府執政列」では、馬上に軽装の足利尊氏。それに付き従う三管領・四職の大名。堀川今出川近くに屋敷があった山名宗全が通り過ぎていった時には、柾樹はご近所のよしみさえ感じて、思わず「山名さんだ」と声を出していた。

 名だたる室町武将の行進のあとは、その後の盆踊りの原型ともなった風流踊りが演じられ、楽しい雰囲気が醸し出される「室町洛中風俗列」が続き、室町時代のページが閉じられる。

 次は吉野時代 ― 世に言う南北朝時代だ。その立役者であった武将 楠木正成が馬上豊かに登場する「楠公上洛列」が目の前を通る時、会場内のアナウンスが一段と声を張り上げて説明する。

 「この『楠公上洛列』は、後醍醐天皇が隠岐より還幸される際、そのご上洛をご先導奉った楠木正成公の一世一代の晴れ姿をあらわしたものでございます」

 この時の意気軒昂の思いが、その後の時代の流れに抗しきれずに夢敗れ、哀れ湊川に散っていくこととなった忠臣大楠公を偲んで、柾樹の感傷もまた頂点に達していた。あの時代、実際に都の人々の目の前を行進していったホンモノの大楠公が醸し出していたであろう当時のオーラが、どれほどに強烈なものであったろうかと思うと、ここでもまた「大楠公に会いたい」気持ちで柾樹の胸は溢れかえった。

 柾樹のそんな感情の余韻を時代祭りの行列は待ってくれない。あっというまに鎌倉時代、流鏑馬の列の登場だ。葵祭の時に神社で見た人馬の疾駆に感動した柾樹にとって、この流鏑馬の衣装はたまらないファッションに映った。美しい静御前も通り過ぎていく。馬上の鎌倉武将の行進時には、柾樹が読んでいた新・平家物語で、折りしも若き頼朝が国司の館を焼き払う場面に指しかかっていた時だっただけに、思わず「佐殿」と声を発していた。

 平安時代の始まりだ。この時代、女性が随所で活躍したのを象徴するかのように、多くの著名な女性が行列を華やかにする。木曽義仲の正室「巴御前」の馬上りりしき姿、一方で雅な世界を名作として残した紫式部や清少納言は輿に乗って登場、さらに小野小町まで登場するなど、まことに華やかな行進である。

 さらに時代は古い時代へと遡り、ようやく時代祭はフィナーレとなった。

 柾樹は、この日、思い切って時代祭に繰り出したおかげで、歴史に名を残した先人達からの強い刺激をモロに受け、このところ心の中にたまっていた澱のようなものが少しずつ溶けはじめるのを感じ出していた。

 心の奥底に艱難辛苦に何とか立ち向かっていこうという気概のようなものがようやく甦ってきたことを感じて、柾樹は思わず目頭を押さえた。一度落ち込んだ経験を経て今日のこの変化を感じとった柾樹にとっては、こんな些細な心の変化さえ涙が出るほどに有難かったからだ。

「それにしても今日はいつも以上に過激に反応しすぎたな」- マンションまでの帰路、柾樹はそんな思いを抱きながら、この時代祭を通して、目には見えない何かが、このところすっかり心を落ち込ませていた柾樹に強く働きかけてきてくれたような感覚に襲われた。

 この国の先人達が、国難に臨んで、どれほど果敢で勇気ある決断と行動力を体現してきたか、を行列に託して次々と柾樹にメッセージングしてきてくれた時代祭 ― 柾樹は歩きながら改めて心に残った行進の数々を噛み締めなおし、足取りまで馬の歩き方を真似ていた。

 と、その時、背後から突然柾樹に声がかけられた。
「時代祭りは初めてでしたか」
 ギョッとして振り返り、その声の主の顔を見た瞬間、柾樹は思わず後ずさりした。

( 次号に続く )