第24回 葉月雑感

 

今にも屋根に届かんとするムクゲの八重の白い花  撮影 三和正明

今にも屋根に届かんとするムクゲの八重の白い花  撮影 三和正明

 

 今日から8月に入りました。旧暦の8月は葉月と呼ばれますが、この言葉を鵜呑みにして、「葉月とは、なるほどうまくつけてあるな」と一人悦に入っていた自分の無知を、今回はさらけ出してみたいと思います。

 私たちにとって、真夏の暑さは耐えがたいものであり、とりわけ歳を経てくると、昔はよくこんな暑さの中でバッタや蝉を追いかけまわしていたものだ、と、幼いころの元気の良さをまるで別人のことのように感じるほどですが、植物にとっては、この暑さこそは絶好の成長の機会となっているようで、我が家の狭い庭で必死に頑張っている植木たちも、この時とばかりに葉を茂らせるのに余念がありません。

 その葉を茂らせる元となる枝の成長の早さも驚異的で、モッコウバラなどは、初夏に満開の花を咲かせた後、あっという間に次のステップに向けて天空に枝をニョキニョキと伸ばし、ものの数日も放っておくと、見苦しいほどにアチコチへと枝が乱舞しているような状態になってしまいます。

 真夏に花をつける木々はそう多くはありませんが、それでもサルスベリやムクゲなどは、猛暑の真っ最中に枝いっぱいに花をつけ、見る人々を楽しませてくれます。が、これらの木々もまたその枝の成長ぶりはすさまじく、こんなに上の方にまで枝を伸ばしていながら、よくまあせっせと地中深くから水分や栄養分を吸い取って、ポンプもないのに先端にまでフルに滋養分を供給しているものだ、と、その強靱な生命力に感心させられます。

 また、朝顔などは、小さな鉢に入れられながらも、蔓を急成長させて葉をいっぱいに茂らせ、朝起きてみると、色とりどりの無数の花を咲かせて、人々の目に季節感を植え付けてくれます。が、その蔓の成長の早さと、葉っぱの勢いの強さに引き換え、朝顔の名の由来にふさわしく、お昼前にはもう花は萎みます。涼しい朝だけの風物詩を奏でた上で、翌朝の蕾にバトンタッチするところが何とも心憎い夏の鑑賞花の代表格だと申せましょう。

 私は、植物のこんな状態を観察しながら、8月を「葉月」とはよく言ったものだ、と昔の人々の感性の鋭さについつい感服していたのです。冒頭に書きましたように、これが全くの勘違いだとは夢にも思わずに、です。その勘違いの原因は、このところ何度か書かせていただいているように、今の暦(太陽暦)と昔の暦(旧暦・太陰暦)を混同して、字面だけで勝手な解釈をしている自分がいた、という点にありました。

 まずは、その事実誤認をチェックすべく「葉月」と言う言葉を広辞苑で調べてみますと、「陰暦8月の異称」で、季語としては秋を指す、とあります。「えっ、葉月って、夏も真っ盛りの時期の葉もたくましく生い茂る様子を端的に表現した古語ではなかったの?」という驚き。ある意味、日常的に私の立ち位置は常に太陽暦と共にありますので、ついつい8月も正に今のこの時期を前提として、それを「葉月」という言葉に置き換えておりましたために、まずは、その立ち位置の違いによる季節感の取り違えに強い衝撃を覚えたのです。

 そこで、いつものように、旧暦の8月とは今の暦では一体いつ頃に当たるのか、をチェックすると、旧暦の8月1日は何と今の暦では9月13日に当たり、旧暦の8月が終わるのは今の暦では10月12日だとあります。なるほどそうであれば季語としての葉月が秋を表すのは至極当然のこととなり、ここで私の一知半解の「葉月」解釈は音を立てて崩れ落ち、仮にも人にこの自分勝手な「葉月論」をとくとくと話してでもいようものなら、アホのそしりは免れなかったことが明らかになりました。

 となると、次の課題は、そんな秋の時期に当たる旧暦の8月を昔の人々はなぜ「葉月」と呼んだのだろうか、という疑問の解明と言うことになります。

 語源辞典的なものを持ち合わせていれば明快に答は出るでしょうが、あいにくその種の辞典を持っていないので、やむなくインターネットで見てみると、諸説ある中でも最も自然で分かりやすい「葉月」呼称の由来は、皮肉にも私が勝手な解釈をしていた中身とは全く正反対の意味であったことが判明したのです。

 その説明によれば、旧暦の8月とは、正に秋になって葉が紅葉して落ちていく時期であるがゆえに、その落葉の季節として「葉月」と呼ぶようになったというのです。私が、「葉の元気真っ盛り」ゆえに「葉月」だと解釈していたのとは正に真反対の意味・解釈として、旧暦の8月が「葉月」と呼ばれるようになったという説明に、私は、思わず苦笑してしまいました。

 が、同時に、昔の人々のそうした感性にこそ日本人の美意識が存しているのであって、そこに気づかずに、葉が勢いよく茂る時期だから「葉月」なんだ、と早合点していた自分の感性のなさを思い知らされ、愕然としました。

 そうなんです、日本人は勢いや活力に感性を響かせるのではなく、散っていくもの、移ろっていくものにこそ、心を通わせてきたのです。今様のただただバリバリ元気いっぱいの人や情景には深みも味わいも趣も一切感じ取らず、むしろ滅びの美学の中にこそ、かつての勢いや栄耀栄華をも偲ぶことのできるトータルとしての人生や自然の摂理が内包されており、これに触れ、これを感じ取り、そこから学び取ることこそが、粋で豊かで価値深いものなのだ、という感性。そう、正に、その感性こそが、この国固有の素晴らしい資質と特性だったのです。

 私自身、たしかに新暦と旧暦とを区別せずに「葉月」の由来を感じ取ろうとするミスを冒したとはいえ、葉が余りにも生い茂ってエネルギーに溢れ返ったような状態を、昔の人々は趣があるとして「葉月」と称しただろうか、との疑問を抱くべきでした。そうした思いの点検を入念に行ってこそ、日本文化の絶妙の感性が心の中に響き、どこかおかしいなとのチェック機能が働くこととなったのではないでしょうか。

 ところで、そうした入念な思いの点検を行うことなく、思いつきの域を出ないレベルの自説を得意げにしゃべりまくる人々と風潮が、今、この国には跋扈・蔓延しています。その病は、自らの知性に人一倍磨きをかけ、正しいリーダーシップを発揮していかねばならない政治家や経営者といった人々にも伝染し、数々の問題を引き起こすに至っています。ましてや、日々放送されているテレビ番組のコメンテーターなる人々の聞くに堪えない論評に至っては、この国に教養と言う2文字が欠落して久しいという現実を突きつけられている思いがして、深い哀しみを禁じ得ません。このままでは美しい日本の鋭い感性や古典に裏打ちされた重層的なものごとの表現力、含蓄深い解釈力がどんどん劣化し、字面や表面的な理解そのままに品性を欠いた拙い表現方法で口角泡を飛ばすだけの対話が幅を利かせる危険な社会になり下がっていくことでしょう。

 自ら早とちりして「葉月」を曲解していた私がそんな偉そうなことを言えた義理ではありませんが、先の大戦が終わって70年、敗戦後のこの国が経済一辺倒だけではなく文化的にも世界最高水準の感性と伝統を継承してくれるのであれば、と尊い命を後世のために捧げられた多くの犠牲者の御霊に思いを馳せる時、今、この国に必要なのは、深い鎮魂の念と本当の意味での誇りと内実を伴った祖国の再興ではないか、と痛感せざるを得ません。

 8月とは、そうしたことを考え直さなければならない大切な月でもあるということを、私たちは片時も忘れるわけにはいかないのですから。

( 平成27年8月1日 記 )