第22回 水無月 考
今日から6月ですが、私たちは、ついついこの6月のことを昔は「水無月」と呼んでいた、というように考えてしまい、なんで梅雨本番の6月にもかかわらず「水が無い月」などと命名したんだろう、と首をひねります。なんとかもっともらしい理由を見つけねば、との思いから、「ははあ、ひょっとして雨が降りすぎて天空にはもう一滴の水も残ってはいません、という意味で、ひねってつけた名前なんじゃないの」などと想像をたくましくする人もいないとは限りません。
こうした誤解の寄って来たる原因は、6月といえば昔は「水無月」と呼んでいた、と条件反射的に生半可な古典の知識を鵜呑みにするからであって、「水無月とは、旧暦の6月の昔の呼び方」と正確に認識することで初めて、「水無月」という呼称の命名の背景を理解することができるのではないでしょうか。
というのも、このポジティブジャパンの熱心な愛読者である我が友人が、日本の四季の美しさをより深く感じ取るように、との思いからプレゼントしてくれた美しい写真カレンダーである「【七十二候めくり】日本の歳時記」によれば、旧暦の6月1日とは今の暦ではなんと7月16日に当たり、二十四節気では小暑、三十二候では「蓮始めて開く」とされる正に真夏の始まりだということなのです。当然、梅雨は完全に明け、その日から今の暦の8月13日までの1ケ月間(旧暦の6月は29日まで)こそが、旧暦の6月に当たると言うわけですから、それはもうカンカン照りの水も枯れるほどの猛暑の月こそが旧暦の6月なのであって、だからこそ「水無月」と命名されたのもむべなるかな、と納得がいくのです。
インターネットなどで調べてみると、いかにも最もらしいさまざまな説明が出てきますが、旧暦の6月を「水無月」と呼んだ決め手とは一体何だったのか、となると、全く判然とはしません。あれこれ意味解釈を列挙したところで一向にピンとこないその命名の由来が、旧暦の6月が今の暦での新旧のお盆の時期に当たる、という事実関係さえ掌握できれば、毎日毎日一滴の水も降ってはこないジリジリした真夏日の1ケ月だからこそ、自然と「水無月」という呼び名がついたわけだ、と単純・素直に解釈することができ、それによって昔の人々と心を通わせることがごくごく自然にできるようになる気がするのです。
考えてみれば、私たちは、生半可な知識と感覚で、いかにもしたり顔をしながら、実は、まことに恥ずかしい勘違いをしばしば犯しています。たとえば、今の京都御所を訪れては、「いつ来ても平安の古都の香りがするなあ」などと目を細め感懐にふけります。が、今の京都御所は、明徳3(1392)年以降から明治維新の東京遷都までの間、御所としての役割を担ってきたものであって、794年の平安遷都時に今の二条城の北あたりに作られた最初の御所とは全く別のものなのです。美しい錯覚も時にはおつなものですが、やはり事実関係だけはしっかりと押さえた上で、感受性のひらめきを発揮させたいものですね。
( 平成27年6月1日 記 )