第18回 二月・考
1年12ケ月のうちで、2月ほど目立たない月はないのではないでしょうか。たしかに、2月にも「節分」や「建国記念日」という大きなイベントがあるにはあるのですが、待ちに待ったお正月、春到来の3月、桜の候の4月というまことに華やいだ印象に彩られた月が前後に控える中にあっては、どうも2月は地味で印象に残りにくい月となってしまっているように思えます。
ところが、仔細に見ていくと、逆に2月ほど深い意味と尊い役割を担って私たちを元気づけてくれている月は他にないことに気がつきます。
その第一の要因として挙げたいのは、1年365日を構成するに際して、2月が果たしている役割の重さです。もともと各月が、大の月をとるか小の月にするかの取り合いに終始していた中で、一人2月のみが、1年を365日に納めるという大命題達成のために、圧倒的に日数の短い月を自ら進んで引き受けてくれた上、4年に一度の閏年においても、上乗せすべき1日分を黙って自分の日数に乗っけて29日にしては静かに微笑んでいるという、まるで君子のような役割を担ってくれているお蔭で、私たちは1年という暦に何の不自然さも不自由さも感じることなく、毎日を過ごすことができているのです。2月という月が担ってくれているこの地味ながらも気高い貢献ぶりに対して、私たちは平素からもっと注目し、感謝し、その陰徳を賞賛すべきではないでしょうか。
暦や天文学に関する知識が皆無の私には、なぜ2月にそうした機能を担わせることとなったのか、など知る由もありませんが、1年がごくごく自然な流れとして経過していくように配慮・調整するというコーディネーターとしての難しい役割を担う月を決めるとすれば、あっと言う間に打ちすぎてしまうお正月と、春到来に心躍らせる3月との狭間にあって、その厳しい寒さから人々が一刻も早く逃れたいと願っている2月ほどふさわしい月はほかになく、かつ何より2月自身がそうした自覚の念からその役割を買って出てくれたおかげで、私たちは大きなストレスもなく1年を過ごすことができているのです。ここに、2月という月の「己を空しうして人の役に立つ」崇高な姿勢を感じ取らずして何に思いを馳せることができましょうか。
2月に思いを寄せるべき第二の要素は、この時期に咲く梅の花に託して2月が発する格調の高いメッセージ機能です。今日、花と言えば桜ですが、かつては梅こそが花の代名詞でした。桜からのメッセージは、春を渇望してきたがゆえに感じられる華やいだ雰囲気とその散り際の見事さに集約されますが、梅が私たちに伝えようとしてきたメッセージは、そうした華やかさや見事さへの賛美とは異なり、共に悩み、共に耐える者への共感と愛情であり、かつ逆境に耐えてこそ生まれる美しさ、尊さ、気高さ、奥深さへの礼賛でした。そんな人生の真髄を我々に伝えようとしてくれる梅をいかに見事に咲かせるか、という大きな務めを2月が果たしてくれるからこそ、春の弥生の歓びや卯月の桜への思いがより浮き彫りにされ、大自然のドラマを共鳴させあう季節のクライマックスが展開されるのです。
その「梅」と言えば、真っ先に思い起こされるのが、天神様となられた菅原道真公でしょう。讒言によって大宰府に左遷させられた菅原道真公が、ご自身の無念で複雑な思いを梅の花に託して詠まれた「東風吹かば匂い起こせよ梅の花 主なしとて春な忘れそ」は余りにも有名なお歌ですが、そこから伝わってくる道真公と梅の花との深い心の交流には、いつも心を打たれます。
時代が下って、西郷隆盛卿もまた梅に人生を詠まれました。その漢詩の作品の一節にある「雪を経て梅花麗しく、霜を経て楓葉丹(あか)し」という表現にいたく感動したことがありました。雪の寒さに耐えてこそ見事に花開き四方に香りを放つ梅の気高き強さや、霜の厳しさに晒されてこそ鮮やかに紅葉する楓の厳粛さに、人生の意味や頑張りを感じ取ってきた先人たちは、4月の桜に浮かれてこの世の春を謳歌する楽しさとは異質の深い真理と精神性を学びとり、苦しさに耐える意味と価値を理解してこられたのです。
西郷卿は、この漢詩の最後を「そうした天の思いを梅や楓から学び取ったならば、どうして自ら安易な道や方法論を選択しようなどと思うものか(もしよく天意を識らば あに敢えて自ら安きを謀らんや)」と結ぶことで、自然にも人生にも一貫して流れている摂理を詠いあげられましたが、この漢詩に触れた私は、なにごとにつけ軟弱な自分自身を強く恥じ入ったことを昨日のように思い起こします。
道真公の和歌といい、西郷卿の漢詩といい、梅の花にそうした詠み手の思いを投影させる感性と力を宿らせたのも、2月という月が放つ強いメッセージ機能の現れでした。「苦しくとも耐えよ。その艱難に耐えてこそ、本当の春がくるのだぞ」という2月の深い問いかけこそ、苦悩に悩む人々を励まし、救い、勇気づけてきてくれた2月の、他の月には見られぬ固有の尊い役割だったのではないでしょうか。
最後にもう一つ。2月と言えば忘れてはならない大切な行事があります。東大寺二月堂で行われる「修二会(しゅにえ)」がそれです。現在では、3月1日から2週間にわたって行われるようになり、そのクライマックス部分である3月12日深夜から翌13日にかけての「お水とり」が終わらないと暖かくならないと関西では今も言い伝えられていますが、もともとは、旧暦の2月1日から行なわれていた修法であったことから「修二会」と呼ばれ、その会場となったお堂の「二月堂」という名前もそこに由来しているといわれます。
この「修二会」では、練行衆と呼ばれる11名の僧侶が、ご本尊の十一面観世音菩薩に「天下泰平」「五穀豊穣」「万民快楽」などの祈願をささげながら、人々に代わって懺悔の行を務めるとされますが、そこに2月という月の底流を貫く自己犠牲にも似た気高い営みが象徴されているのです。11名の練行衆自身が、自ら艱難辛苦に身を投ずる行に没頭することで、これから迎える春が穏やかで平和なものとなりますように、との願いを観音様に実現していただこうとするこの営みにこそ、2月という月が私たちに伝えようとしている大切な思い ─ 「逆境を甘受し自己犠牲を厭わぬ」2月という月があって初めて3月という春が巡ってくる、それが大自然の摂理であり、人の生き方なのだということを、2月のメッセージとしてしっかりと学び取って下さいね ─ が凝縮されているのです。
それにしても、私には解けない2月の謎があります。それは、昔の2月をなぜ「如月(きさらぎ)」と呼ぶのか、というものです。広辞苑によれば、「きさらぎ」という呼称は、草木が更生することを指す「生更ぎ」からきていると書かれており、まさに春の到来の前夜を指し示すものとして納得感はあるのですが、それをなぜ「如月」と書くのか、についての説明が全く記載されていません。
そもそも「如月」と書いて「きさらぎ」と読ませること自身、外来語の感覚さえ漂う点で非常にユニークですが、「如月」の二つの文字のどちらにも、「き・さ・ら・ぎ」と読める要素などどこにもないのに、どうしてそんな読み方をするのか。どなたかご存じの方がいらっしゃればぜひお教えいただけませんでしょうか。
ひょっとしたら、この妙な当て字と読み方自体にも、2月という特異な月の特色が隠されているのかも知れません。他の11ケ月の読み方がことごとく和風なのに対して、2月の梅も、修二会も、如月という読み方までもが、どこか異国からの由来を持った不思議な霊力を感じさせるのは、そのせいなのでしょうか。
(平成27年2月1日 記)