第12回  蝉

 

堀川七夕祭り(8月上旬)の日に満を持して羽化する京の蝉   撮影 三和正明

堀川七夕祭り(8月上旬)の日に満を持して羽化する京の蝉   撮影 三和正明

 

 8月といえば、やはり蝉。昔、夏休みの宿題に、いろいろな種類の蝉を採集し、カステラの木箱にピンで留めて上部をセロファンで覆い、いっぱしの標本採集箱に仕立てあげて、新学期初日に大事に両手で抱えて通学路を急いだことを懐かしく思い起こします。

 蝉については、7月のマンスリーメッセージで「夏の音と色」をお届けした際、読者の皆さまから、ご自身にとっての「夏の音は、やはり蝉しぐれです」とのご感想が数多く寄せられ、改めて蝉は夏の風物詩の代表格なんだなと実感いたしました。

 ところでこの蝉、暗い地中での長い孤独な生活を経て、やっと地上に這い出てくるにもかかわらず、ごく僅かな日数で一生を終えてしまうことから、命のはかなさの代名詞のように捉えられていますが、本当のところはどうなのでしょうか。

 私は、彼らが長い地中生活を終えて、地上に出てくるや否や、単に雌蝉を求めるためだけに終日あんなに激しく鳴き通すのはいささか異常ではないか、何か他の目的もあるからこそあゝまでして必死に絶叫しているのではないか、とずっと感じてきておりました。

 その「何か他の目的」とは何でしょうか。私は、秘かにその仮説として、蝉が、暗黒の地中での長い日々を通して色々と考え抜いてきたことを、地上に出た暁に、その蝉なりの表現によって精一杯歌い上げ、そのストーリーと歌唱力の素晴らしさに感応して飛来してきた雌蝉とのしばしの語らいを通して、それぞれが地中の孤独の日々には味わうことのできなかった「共感・共鳴」という生物界最高の意思疎通の喜びを確認しあったのち、同じ思いを共有する子孫を残す共同作業に従事して、自らの一生を終えていくのではないか、というように考えてみたのです。

 そうでなければ、あんなに長い期間、地中で沈黙の日々を送っている意味が分かりません。そもそも生物が成虫になるのに、そんなに長い期間を要するということ自体、種の保存上からはハイリスクに過ぎるような気がするのです。天敵に遭遇しても逃げることのできない幼虫時代が異常なほどに長すぎるという宿命を与えられた蝉に、他の生物たちには手に入れることのできない何らかの大きなメリットがなければ、蝉は、その進化の過程で、もっと早く成虫になるような選択をしてきたに違いないと思うのです。が、蝉は、そういう進化の道を選びませんでした。そのことから、蝉は、その幼虫時代にこそ、かけがえのない意味と価値を味わっているに違いないのではないか、と推察するに至ったのです。

 蝉は、その幼虫時代、真っ暗な地中で一切の音もない世界にじっと身を置きながら、木の根に長い口吻を差し込んで、ひたすら樹液を吸い続けます。その何年もの沈黙の期間に、何回かの脱皮をしながら、幼虫は、きっとさまざまな思索を巡らせ、地上に出た時に歌い上げるべき自分の幼虫時代の生き方というものに磨きをかけるのです。

「私が今日もこうして樹液を吸えているのは、一体、何ゆえか」

「私はなぜこの大木の命の水の一部を今日も分け与えてもらえているのか。私が大木に対して何の貢献もしていないのに、こうした恩恵を一方的に私自身が得ることができているのは、どういう理由からなのか」

「地中生活では一声も上げることができない身体構造になっているのに、果たして地上に出たら大きな声で鳴くことができるのだろうか。この私の体の何がいつどう変化して、私は自分の得たもの、感じたものを地上で歌い上げることができるようになるのだろうか」

「地上で無事に第一声を出すことが出来たとして、私は自らの幼虫時代をどう総括し、自らが追い求めてきたものとは何であったのか、をどう表現すればいいのだろうか」

「安穏に日々を過ごし、快楽に身をゆだねることはたやすい。が、本当にそれでいいのか。それなら多大なリスクを伴いながらもあえて与えられてきた長い幼虫時代の意義や価値などどこにもなかった、ということになるのではないのか」

「私が自ら感得した蝉人生のエキスを立派に歌い上げたとして、それに共感してくれる素晴らしい伴侶が私の胸に飛び込んできてくれるだろうか。もし誰も来てくれなかったら私はどうしたらいいのだろうか」

「地上に出て、自らの生き方への総括と言う勝負をする私にとっての‘セミ ファイナル’とは一体何なのだろうか」

「もし、自分の地中生活時代に得たものが他の多くの蝉たちにとって有益この上ないものであるならば、自分の‘セミナー’でも開くべきか」

 等々・・・。

 かくして地上に出た蝉は命を賭けて絶唱します。その声が、その体に比し異常なほどに大きく、また圧倒的な迫力に満ち満ちているのも、実は、地下で悶々と考えた思索の成果をまさに世に問い、それに共鳴してくれる伴侶に思いを届けたい一心ゆえなのです。

 ところで、蝉を歌った名句といえば、やはり松尾芭蕉の「閑さや 岩にしみ入る 蝉の声」でしょう。ご承知のように、芭蕉が「奥の細道」紀行で、山寺(立石寺)を訪れた時に詠まれた俳句ですが、ひょっとすれば芭蕉も、あの蝉の鳴き声にある種の厳粛さを感じ取っていたのかもしれません。

 この句を巡っては、その蝉の種類や、その鳴き方が蝉時雨タイプの合唱か、独唱か、さらには「閑かさや」という最初の言葉と、その後に続く「岩にしみ入る蝉の声」とが連続の光景か不連続の事実の並記か、などの論争が行われてきていると聞いたことがありますが、蝉の言わんとしていた「わが蝉人生にて得たもの」について芭蕉が耳を傾けていた、という話は聞いたことがありません。ひょっとすれば、「しみ入った」のは「岩に」ではなく、「芭蕉の心に」であったのかもしれません。

 もし芭蕉が大阪河内生まれだったら、自分のことを「わい」と言っていたでしょうから、それをたまたま仮名文字で書く際に上下の順序を間違え「いわ」と書いてしまった、という連想も成り立つのですが、伊賀上野の人ゆえにこれは却下となりましょう(伊賀上野にも自分のことをワイと言う方言があれば話は別ですが)。

 が、蝉のおかげで、松尾芭蕉という人の凄さに改めて気づくことができました。今まで、何気なく「○○や」と書き起こされている部分になど、何の深い意味も考えずにいた私でしたが、今回の「閑かさや」も、また自分としては一番好きな句である「古池や」も、その他思いつくものとしては「象潟や」も、すべて気楽にその5文字を見て、その額面どおりの意味以上に物事を深く意識せずにきたことが、あまりにも勿体なかったのではないか、とさえ思えてきたからです。

 真実は常には普通の姿をしていて誰にでも見えるのですが、その奥にある深い真理までは決して気づかれないように設えられている ―― そのことが意識できただけでもよかった、と思いながら、ふと、「そうか、蝉が言いたかったのもそのことだったかもな」と気がついた次第です。

(平成26年8月1日 記)