第11回 夏の音と色
今日から7月。季節の区分では夏は6月からとなっていますが、梅雨の時期を過ぎて、夏の行事が目白押しの7月にならないと、夏が来たという実感は湧いてきません。
ところで、そんな日本の夏の印象を音と色で示すとすれば、皆様は何とお答えになるでしょうか。夏の大空に打ちあげられる花火がお好きな方であれば、音は花火の打上げ音、色なら夜空に大輪の花となって広がる花火の鮮やかな赤とお答えになるかもしれませんね。
私は、音なら「コンチキチン」、色なら「白」と答えようと思います。
「コンチキチン」は言うまでもなく「祇園祭」のお囃子の音。もともと祭囃子の響きには、日本人のDNAに直接訴えかけるエネルギーが宿っているものですが、中でも祇園祭のそれは、太鼓・笛・鉦の音が見事に調和し、えもいわれぬ日本の夏の風情を感じさせる誠に雅びなもので、このお囃子が耳に入ってくると、誰しもが悠久の古都の営みに思いを馳せることができるから不思議です。ましてや一度でも見に行かれたことがある人々にとっては、このお囃子を耳にした瞬間に、宵々山・宵山・山鉾巡行の光景が鮮やかに脳裏に甦り、日本の夏の素晴らしさにいつまでも浸っていたい感懐を覚えられることでしょう。正に「日本の夏の音」がそこにあると言っても過言ではありません。
そうした祇園祭の「コンチキチン」が全国ブランドの祭囃子なら、それぞれの故郷にはそれぞれの祭礼の祭囃子があり、それを耳にすると幼児体験の世界に瞬時に戻れるから不思議です。大阪生まれ・大阪育ちの私にとっては、天神祭のお囃子がそれにあたります。
中でも天神祭の山車を引くときに打ち鳴らされる「チンチキチンチキチッコンコン」という鉦のお囃子は、最初はゆっくりと、そのうち段々早くなり、最後にはよくもそこまでと思えるくらいの早打ちとなって、いかにも大阪人のせっかち、イラチを象徴するかのように鳴り響き、大阪の真夏のページェントをいやが上にも盛り上げるのです。
子供の頃、氏神様が天神様の摂社で、夏休みには毎年子供神輿をかついだものですが、その時に耳になじんだ天神囃子のリズムが、年と共に心の奥深くに沈潜し、大人になってその音に触れた瞬間、何十年も昔にタイムスリップできる魔法の道具。日本中の町や村に同じ仕掛けのタイムスリップ装置が無数にあって、それが作動するとそこで生まれ育った誰しもが懐かしさに胸を詰まらせる日本の夏の音。それが祭囃子だと思うのです(無論、同じ仕掛けは秋祭りにもあるのですが、ここでは「夏祭り限定」ということでご容赦下さい。残念ながら大阪生まれの私には秋祭りは馴染みがなかったものですから)。
では、夏の「色」はどうでしょうか。私が「白」を選んでいるのは、海水浴場で見た「白砂青松」の白?、それとも入道雲の白い色。いえいえそうではありません。私が「白」を選んだのは、次の歌に詠まれている白に日本の夏の清楚さを感じたからです。
春過ぎて 夏きたるらし 白たえの
衣ほしたり あめの香具山 (注1)
これは万葉集の巻一の28巻にある持統天皇のお歌ですが、初めてこの歌を教わった時に、日常的によくある何でもない光景にもかかわらず、夏の青々とした香具山に白い衣が干されていることに季節の移り変わりを感じ取る感性と、それを実に分かりやすい表現で素直に歌い上げられる大らかさに、私は心から感服いたしました。と同時に、女帝だけにやはり衣へのご関心が高いのだろうか、と下世話っぽくも思っておりましたら、「衣ほす歌はさすがに女帝なり」という古川柳まであることを知って、余計に強く印象に残る歌となりました。
更に面白いことには、この歌は、藤原定家が選んだとされる小倉百人一首に採択されるに当たって、万葉集の元歌の表現の一部が次のように変えられました。
春 すぎて 夏 きにけらし しろたえの
ころも ほすてふ 天の香具山 (注2)
そこでは、夏を迎えた様子や、衣が干されている光景を持統天皇が直接ご覧になったのではなく人づてに聞かれたように脚色されるなど、昔のこの国の文化人の持つ自由奔放さがいかんなく発揮されており、そのことで一層この歌が私にとっては興趣尽きないものとなったのです。
このように、私たちが音や色で季節を感じることが出来るのは、この国の四季がそれだけ豊かな音や色彩に包まれているからに他なりません。秋ともなれば、音は虫のすだく声となり、色は紅葉のそれとなりましょうし、冬は、寒風が吹きすさぶ音としんしんと降る雪の色が連想されることでしょう。そしてそうした音や色を歌に載せて後世に残してくれた先人のおかげで、私達は今日でもなお感性豊かで瑞々しい日々と心洗われる充足の時を享受できているのです。
が、そんな私達が、この先、後世の人々に何をどういう形で残そうとしているのか、を考えた時、その文化的な感性があまりにも貧弱になっていることに愕然とさせられます。先人の残してくれた大切な遺産を享受ばかりして、私たち自身が次世代に残せるものを自ら生み出そうとはしていない事実に、大きなショックを覚えるのです。
せめて先人の残してくれた価値の尊さを再認識し、その深い意味を考え、それを一人でも多くの人たちと共有することで、たとえ私たち自身の創造性は欠如しているとしても、次世代への私たちなりのバトンタッチの役割だけは果たしていきたいと思うのですが、いかがなものでしょうか。
(注1)昭和34年3月 明治書院発行の「萬葉集の解釈と文法」106ページより転載
(注2)昭和40年6月 初音書房発行の「文法要解 小倉百人一首」本文1ページより転載
(平成26年7月1日 記)