第10回 でんでん虫
今日から6月。アジサイにでんでん虫という取り合わせが梅雨のこの時期のおなじみの光景ですね。
ところで、でんでん虫というとナメクジに殻を背負わせた姿を連想しますが、もともとは、でんでん虫の殻が退化してナメクジになったとのことで、ナメクジがなぜ持ち家を捨てて流浪の旅に出たのか、興味のあるところです。恐らくは、エサを求めて狭い場所に潜りこんでいくには背中の大きな殻が邪魔になるため、持ち家にこだわるべきか、行動の自由を確保すべきか、で、さんざん悩んだ挙句、ナメクジは持ち家を捨てる決断を下したのでしょう。この結果、ナメクジは我々の家の内外に広く生活圏を確保するようになったのに対し、でんでん虫は、まさにアジサイの葉の上に詩情溢れるその姿を見せることで何とか存在感を主張しているように思えてなりません。
が、人間の目や印象は常により詩的で可愛く見える種を贔屓するために、ナメクジには平気で塩をかけ、でんでん虫には歓声を上げてカメラを向けます。人間の「豊かな感性」とは果たして麗しいものなのか、それとも身勝手の代名詞なのか、ついつい考えさせられてしまいます。
ところで、そんなでんでん虫の背中の大きな殻の中身に注目して作られた童話が俄然注目を浴びたことがありました。新美南吉氏の「でんでん虫のかなしみ」と言う本がそれですが、美智子皇后がご幼少の頃、一匹のでんでん虫のお話を聞かせてもらったことがあり、不確かな記憶とはいえ、そのお話の元がこの本だったのではないかと思われる、と述懐されたことで、多くの人がこの本に関心を持つようになりました。
そこに書かれている内容とは、一匹のでんでん虫がある日突然自分の背中の殻に悲しみが一杯詰まっていることに気づき、友達のでんでん虫を訪ね回って、もう生きていけないのではないか、とわが身の不幸を打ち明けるというものです。そのでんでん虫に対して、仲間の誰もが「それは君だけではない。自分の背中の殻にも悲しみがいっぱい詰まっている」と教えてくれたことで、そのでんでん虫は、悲しみは誰でも持っているのだ、自分だけではないのだ、私は私の悲しみをこらえて生きていかねばならないのだ、と気づいて、もう嘆くのをやめました、というストーリーなのですが、あのでんでん虫の殻の中に悲しみが詰まっていると感じる作者のナイーブさには感心させられました。
考えてみると、人間が大自然の生き物に対して関わりあう時の感性は、幼少時から、学生・青年期を経て、大人としての多彩な体験を通して成長を重ねていくまでの各ステップに応じて、開花・発展していくもののように思えます。
私の場合でも、ただ単に虫の生態や仕草に関心を抱くというレベルから始まり、やがてその姿かたちのデザイン性や機能・身体能力の凄さに関心が移り、大人になるにつれ、その虫たちに自分の心象風景を投影させるような感覚を通じて、虫たちから教えられたり、心を揺さぶられるような日々を過ごしてきたように思えるのです。数え年で70歳となった今では、小さい庭での朝夕の虫たちとの出会いは、彼らとの大切な語らいの場であり、自分自身に諦観・達観を自覚させてくれる瞬間ともなってきています。
小学校時代。大きなガラス瓶に土を入れて蟻を飼い、その巣作りの面白さに時の経つのを忘れた日々。葉の裏に産み付けられたカマキリの卵を持ち帰り、やがてそこから孵った沢山の子供カマキリ達が一斉に鎌を振り上げてファイティングポーズをとる姿に歓声をあげた日々。アマガエルをつかまえてきてはガラス戸にとまらせ、這い上がる姿の滑稽さやキョロキョロと目を動かす仕草を飽くことなく眺めていた日々。夏の風物詩でもあったキリギリスがウリやスイカを食べる表情や羽を震わせて鳴く様子に見入り聞き入った日々。住宅街の道路が舗装されるまでは都会でも大雨のあとともなるとケラやハサミムシが地中から這い出てきて忙しそうに歩き回っていたものですが、そのケラを握りこぶしの中に入れては前足のショベルパワーの力強さを感じ取ったり、ハサミムシの尻尾のハサミに割り箸を挟ませてその力を試したりもした日々。
言わばこの頃は、小さな命がただただ動きまわること自体が面白く、深い観察力を養うなどという意識などは毛頭なかった時代でしたが、やがて中学生になると、これらの小さな生き物たちの素晴らしい体形や体の細部の機能により関心が向かうようになり、昆虫採集にも精を出すようになりました。
ギンヤンマやオニヤンマの筋骨隆々たる胸部のマッチョぶりとその色の鮮やかさや、空中停止のホバリング能力の高さには舌を巻きました。胸部のマッチョといえばクマゼミのそれにも、えもいわれぬ質量感を感じました。あの黒くて広い肩幅(といっても左右の目の幅と肩の幅とはズドンと同じサイズなのですが)の頑強さと透き通った翅のコントラストの美しさにじっと見入ったものでした。コガネムシやタマムシのクチクラ層に覆われた表皮の美しさは正に宝石そのものでした。美術で習った法隆寺の「玉虫厨子」の往時の極彩色の見事さを連想してタマムシの華麗さに心底感嘆してしまいました。
たしかに、昆虫とは「体が頭・胴・腹の三つに分かれ、頭部に一対の触覚・複眼と口器、胸部に二対の翅と三対の脚とがある」(広辞苑)と説明されてはいますが、仮に我々がこの定義どおりに生き物を設計したところで、こんなにも多様多彩で豊かな色彩美に満ち溢れた図面など絶対に描けっこありません。神の造形力の凄さにただただ感服させられました。
無論、神の技が及んでいるのは昆虫だけではありません。庭にいる節足動物の団子虫の甲羅の緻密な開閉の仕組みは脱帽ものでした。クモはさすがに好きとはいえませんが、エサ捕縛装置の作成能力と網にかかった獲物に対する超高速処理能力には肝をつぶしました。神は、こんなに小さい生き物たちによくもこんなに高い能力を付与されたものだと感嘆すると共に、自分の運動神経の鈍さに理不尽さを覚えたものです。
中学時代は、こうして創造主の技の超絶性にいやおうなく気づかされるようになったのですが、そこに自分の思いや感性を投影する気持ちが生まれるようになるまでには、まだまだ時間が必要でした。感性の投影に必要な多くの人生経験が不足していたからです。
が、やがて過酷な受験戦争をかいくぐり、社会人となってさまざまな人々と交わる中で味わった感動と失意、共感と反発の交錯の中で、自分にしかない一回きりの人生経験を積み重ねていくうちに、冒頭の「でんでん虫のかなしみ」の作者ほどの詩的でロマンティックな思いで虫たちを見る感性までは到底無理としても、自分なりに虫たちから学んだことは余りにも大きかったように思います。
セミの羽化を見つけ、この先わずか一週間の命にもかかわらず今成虫にならんとして全力で殻から抜け出そうと挑んでいる姿に、いい加減な気持ちで日々を送っている自分を恥じました。ひらひらと舞う蝶が実は卵を産む木を必死で探しているのだと知って、有限の生という意識を欠いて漫然と時間を浪費している自分を不甲斐なく思いました。小さな虫たちの必死の生き方に触れるたびに、自分の生き方がいかに甘くていい加減かに思いが及び、日々の自分の不明を思い知らされました。そうした小さな生き物たちとの言葉を超えたコミュニケーションがあって初めて、人という生き物もまた生きる意味と価値を感じ取ることができるのだ、ということに気づいて、虫たちにそっと感謝の頭を垂れました。
ところで、人間に対して、命を張ってさまざまな真理を教えてきてくれたこうした小さな生き物たちは、今、いったいどこに行ってしまったのでしょうか。
彼らが身近に居なくなったせいか、昔は朝からチュンチュンチュンチュンとうるさかった雀の姿を見かけることも少なくなりました。舗装道路は人間に住みやすい環境を与えてくれましたが、あんなに健気だったケラやハサミムシを見つけることは出来なくなりました。美しく清潔な町並みは出来上がりましたが、小さな生き物たちとの交流によって育まれた子供達の驚き、凝視、集中、感動の機会は激減しました。
電池で動いているのではない生き物の命という不思議を、子供達の日常生活の中で感じ取らせてやるのはもはや無理になりつつあるのでしょうか。それならそれに変わる子供たちへの情操教育を私たちは用意できているのでしょうか。小さな虫たちが姿を消していることによって、やがて私たち人類の豊かな精神性に支障をきたすようなことが起きていくのだとすれば、決して子供たちへの心配に留まらない怖さを今こそ強く意識しないと手遅れになるのではないでしょうか。
「一寸の虫にも五分の魂」―― この言葉を新しい感覚で噛み締めた次第です。
( 平成26年6月1日 記 )