第3回 錦秋の候

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錦秋の北野天満宮境内  撮影 三和正明

 

 この時期の手紙の冒頭にしばしば用いられる「錦秋の候」という言葉ほど美しい光景を連想させる表現はないように思います。

 そこには、色とりどりの紅葉が綾錦さながらに輝きを放ち、作為なき大自然が織り成す無類の絶景に息を呑む様子が実に見事に言い尽くされています。

 が、かく言う私自身、こうした紅葉の美しさに気づくようになったのは相当の年齢を経てからのことで、若い頃は春爛漫のサクラの華麗さに酔いしれることはあっても、錦秋の美しさに心を動かされた鮮明な記憶はありませんでした。

 そんな自分が紅葉の深さ、美しさに魅せられるようになるのは、若い頃にそっと心の奥底に埋め込まれた因子が、その後の悲喜こもごもの人生経験を味わうことによって醸成された触媒の作用で覚醒反応を起こしたからであったように思います。

 私の場合、その因子は、小学校の頃に輪唱唱歌として習った「紅葉(もみじ)」という曲でした。数々の名唱歌を残された作詞家 高野辰之先生・作曲家 岡野貞一先生のゴールデンコンビによって生み出されたその曲を口ずさむと、もう半世紀以上も前に、先生のオルガンの前奏に続いてまず先発組が歌い出し、一小節遅れで後発組が歌い出すことでその輪唱効果に酔いしれた記憶が今も鮮やかに甦ってきます。

 

1.秋の夕日に照る 山もみじ  濃いも薄いも数ある中に
                            松を彩る楓や蔦は   山のふもとのすそ模様

 

2.渓(たに)の流れに散り浮くもみじ  波に揺られて離れて寄って
          赤や黄色の色さまざまに  水の上にも織る錦

 

 何と言う美しい歌詞でしょう。そして何と言う美しい日本語でしょう。小学生にしては難しすぎる表現が随所に出てくるとは言え、錦を織り成すようにさまざまに夕日に照りかえる木々の紅葉を、また、それが渓流に散って流れのままに並んだり離れたりしながら、まるで水の上に錦の綴織りが出現してくるという情景を、よくもこんなに簡潔かつ的確に表現できたものだ、と感服し、そんな美しい言葉を母国語として持っている我々日本人の幸せを、今、この年齢になってはじめて噛み締めることができるのです。

 

 百人一首の中にも、秋の紅葉を詠いこんだ和歌はいくつかありますが、わけても「錦」という言葉が直接用いられている菅原道真公の歌は、この季節には決まって口をついて出てくる名作でしょう。

 

  このたびは 幣もとりあえず 手向山 もみじの錦 神のまにまに

 

 この和歌の魅力は、神様を相手にしつつも、まるで友人との交わりを楽しんでいるかのような軽妙・洒脱な道真公の感覚があふれている点にある、と私は感じています。

 実際、声に出して詠んでみると、言葉の運びやリズム感そのものにどことなく浮き浮きとはしゃいだ雰囲気が満ち溢れていて、神様にお供えする大切な幣という小道具を持ってこなかったことに対して「罰が当たる」などといった申し訳ない気持ちなど微塵も感じられないところに、この歌の湿り気のない魅力が凝縮されているように思えます。

 道真公の少々茶目っ気のあるご性格の一面を勝手に意識しつつ、私はこの歌を自分なりに次のような感覚で解釈しています。

 「今回は上皇様にお供するためにあわただしく家を出てきたので、道々の神様にお供えすべき幣を持ってくるのをうっかり忘れてしまいました。でも、それ以上に神様が気に入って下さるであろう手向山のもみじの錦の鮮やかさが素晴らしいですから、神様のお気持ちのままにそのもみじの錦を愛でていただくことでいかがでございましょうか」

 そこには日本人と日本の神様との穏やかで麗しい関係が垣間見え、のどかでほほえましい平和な時間がゆったりと流れている様子が、千年を越える時を隔てて私達に伝わってきます。 

 が、その道真公もこの和歌を詠まれてから程なくして左大臣藤原時平の讒言により大宰府に流されて憤死され、やがてその怨念のたたりと恐れられる大事件が洛中を震撼させることとなります。

 そんな驚天動地の一大事が起きることになろうとは思いもよらぬ錦秋のひととき、道真公の屈託のない笑顔に、路傍の神様もまた「了解・大歓迎だ」と笑顔で微笑み返されている光景がこの和歌からひしひしと伝わってくるだけに、この歌のもつ深さとドラマ性に一層心打たれる思いがしてならないのですが、いかがでしょうか。

 (平成25年11月1日 記)