第2回 「上・下」と「前・後」

京都 時代祭

京都 時代祭  撮影 三和正明

今日から10月。で、10月と聞いて、京都三大祭りの一つ「時代祭」を連想する人は、よほどの祭り好きか、私のように現役を退いて時間に余裕のある年齢層の方々であって、今なお忙しい日々を送っておられる現役の方々にとっては、今日10月1日は格別の意味を有する日となっているに違いありません。

というのも、多くの企業や組織にとって、今日は3月決算の後半、すなわち「下期」の初日に当たるため、「上期」以上の成果を上げるよう督励される期初の朝礼に臨まれ、決意と焦りを新たにされたであろう日だからです。

が、現役を退職した今、この「下期」という言葉の中に、現役時代には考えたこともなかったある種の面白さがあることに、私は気がつきました。それは、時間軸に上、下という言葉を使う考え方の絶妙さと知恵の見事さについてです。

通常、時間について語る時は、先にくるものを「前」とか「先」あるいは「初め」と言い、後にくるものは「後」や「終わり」「末」などと呼ぶことで、たとえば「前期・後期」、「前半・後半」、「先発・後発」、「初期・末期」などというのが一般的ではないでしょうか。

が、不思議なことに、決算期については、その前半、後半を決して「前半期決算」「後半期決算」とは呼ばず(「前期決算」と言えば前年度決算という意味になり、「前半期の決算」と言う意味にはなりません)に、決まって「上期(または上半期)決算」「下期(下半期)決算」というように呼びます。

そもそも上・下という言葉は、場所であれ位であれ、高低差を意味する時に用いられるものなのに、決算期に限ってはなぜか時間軸の早い方と遅い方を意味する言葉として用いられるのです。

たしかに広辞苑によれば、「上(下)」という字は「うえ(した)」と読む時は、物の上部(下部)や地位の高さ(低さ)等を表すのに対して、「かみ(しも)」と読む時は、「うえ(した)」と読む場合と同じ意味を表す用例のほかに、「ある期間をいくつかに分けた最初(後)の方」という意味がある、と書かれています。

従って、決算期を上期・下期と呼んだところで何もおかしいことはないのですが、私が強い関心を抱いたのは、そうした用法的な正しさという観点ではなく、なぜ、決算期については「前半・後半」と言わずに、「上・下」という言葉を用いたのか、という点でした。

たしかに、「前半・後半」も「上・下」も意味としては同じなのですが、仮に時間軸を「前半・後半」という分け方で呼んでしまうと、単調な時間の流れの中のある一点で単純に前と後ろに区切られただけの、どこか平板で無機質な時間経過を示しているに過ぎない感じになってしまいます。

それに対して、時間軸を「上・下」によって区分すると、上半期中に済ませておかねばならない課題や目標への果敢な思いや挑戦心、下半期にずれ込んだ未達成部分をやり遂げてしまわねばならない緊張感や責任感といった人間の情念のようなものがそこに宿り、時間に臨む人間の熱い思いが作動しはじめるという不思議な感覚が頭をもたげます。

であれば、決算に「上・下」という表現を用いた先人の着眼点は凄いの一言に尽きます。決算期の前半は必死に予算・目標に向かってきつい坂道を頂上目指して登っていき、その成果を胸に後半は年間の目標必達につながるように満を持してゴールに降りていく、という含意がそこには込められているからです。

それはちょうどゴルフのアウト・インの感覚に似て、スタートしてからの9ホールまでで貯金をしたり未達に苦しんだりして食堂に辿り着き、昼食時に「あそこはよかった」「あの一打がまずかった」などと言ってはビール片手に反省会を行い、目標達成を期して午後からの勝負に出て行く光景を思い出させます。

決算期を「前半・後半」と呼ぶことで、単に、時間の経過を機械的に区切っただけという無機質な感覚に堕してしまうことを恐れた賢明なリーダーが、上・下という言葉を用いることで、決算期の長丁場に緊張感を持たせようとしたのだとすれば、先人の知恵は絶妙だったと言わざるを得ません。

私は、そんなことに思いを馳せつつ、こういう表現の妙こそが日本語という言葉の持つ力、いわば言霊の格好の事例ではないかとまで考えました。

数多くのボキャブラリーの中から最適の意味と力を有するピンポイントの一語を巧みに選び出し、その一語が放つ効用を最大限に活かすことが日本人ならではの知恵ではなかったのか、と仮に解釈すれば、日本人の言葉の操縦テクニックは大変なレベルだということになりましょう。

ともすれば日本人は寡黙で表現下手だと言われますが、むしろ先人たちは、くどくどと多くの言葉を並べなくとも単語一発で最高のドンピシャ表現を相手に送り届けることができたのではなかったのか、そして悲しいことに、今日その偉大な力が失われて久しいのではないのか、とさえ感じられました。

何だか大発見をしたような気になって、早速家内にこの思いを話しました。が、その返事はまことにあっけないものでした。

「たかが上期・下期という言葉くらいでそんなに過剰な反応をするほどに、あなたは企業戦士として洗脳されてきただけってことじゃないの」

10月1日の朝、日本語の力、先人の知恵、一言に込める言霊思想などのロマンを追ってひととき思いをめぐらせた私は、この妻のひとことで「そうか、俺って病気か」と打ちのめされたのでした

(平成25年10月1日 記)