堀川今出川異聞(21)
いわき 雅哉
第四章 洛西慕情
◇ 招待状
いつもの喫茶店で、そもそもの萌との出会いや、近々再会する約束をしたこと、その日時を萌の方から連絡してくるというので待つことにしたこと、など、一部始終を話した柾樹にとって、その後、萌からの音沙汰のない状態が続いたことは、喫茶店の姉妹から「ほれ見てみなはれ、言わんこっちゃない」と揶揄されるようで、毎日が針のむしろに座らされているような思いだった。
そんな日が十日あまりも続いたある日、マンションのポストに、1通の巻紙が投函されていた。住所も宛名もなく、無論切手も貼られていないその巻紙を、柾樹が恐る恐る開いてみると、前も後も余白だらけの巻紙のちょうど真ん中あたりに、墨痕も鮮やかな美しい漢字仮名交じりの流麗な文字で、
あれからの日々、
ちとちと 逢う瀬 待ち遠しく、
明後日 正午、
五辻通北 大報恩寺の山門にて
お待ち申し上げそろもえ
と書かれ、「もえ」の文字の左横に、得も言われぬ間合いを保ちながら、「萌」という朱色の漢字判が押されてあった。その字体は、「草花」すなわち大自然を示す冠部分と、その下に配置されている「日」と「月」という大宇宙が、見事に調和しつつ、お互いに踊るように相呼応しあう躍動感に満ち満ちたものだった。柾樹は、そこから、あの優しく、明るく、生命力に満ち溢れていて、それでいながら山名持豊公の説明によれば、どこか滑稽であわてんぼうという萌のキャラクターを感じとり、この上なく素敵だと直感した。
実は、柾樹は、京都暮らしを始めて少し経ったころから、なんとなく書道のお稽古を始めてみたい、と思い立ち、折から大学仲間で書道会を結成しようとの話が持ち上がっていたのに乗じて、時々東京に帰る日に東京駅にほど近い場所に設けられた書道教室に通い始めていた。
その教室でみんなと一緒に、先生から書のイロハを学ぶうち、柾樹は、漢字から崩されて生み出された日本独自の美しい仮名文字に魅せられていった。特に、文中における仮名の使い方において、ここではこの漢字から生まれたこの仮名を用いること、と言ったお仕着せの文字づかいなどに一切拘泥せず、自由奔放にさまざまな仮名文字を駆使し、乱舞させ、同じ文中に出てくる草書化された漢字との見事なコラボレーションに芸術性を開花させてきた日本人の感性の素晴らしさには、感嘆の声さえ上げるほどだった。そんな柾樹の目の前に、柾樹の心を捉えて離さない美しい人から柾樹へのメッセージを伝えるための毛筆の手紙という形で、お習字のお手本や先生から教わったとおりの美しい仮名文字が、届けられている。その事実に、柾樹の心は打ち震えた。
柾樹は、すんでのところで、例の喫茶店にこの巻紙を引っ提げて飛んで行くところだったが、「待て、しばし。秘すれば花というではないか」とワクワクする思いを胸に自室に戻ることとした。
机の上に巻紙を広げ、改めてじっくりとその書風を味わう。縦書きの全体の文章を5行に分け、書き出しの文章が始まる高さと各行の出だしの位置を実に微妙な間合いで連関させあっている全体配置の絶妙さ、しかも各行の中に散りばめられた文字から文字への流れの中に息づく生命力と各文字の脹らみや縦長・横長のバランスの妙、全体の墨の濃淡が一幅の絵のように空間と調和している美しさ、冒頭の「あれからの」という表現に籠められた萌の思いの発露や、細川ガラシャ夫人が夫君 細川忠興公に出したとされる書状にあるのと同じ「ちとちと」という可愛い言い回しの使いこなし、など、萌に逢いたいという思いをこの上なく燃え上がらせる見事な書状に、柾樹は心底参って、しばらくは身じろぎもできなかった。
が、それにしても、そもそも手紙に書かれてある「五辻通」とはどこにあるのか。柾樹は、いつもの上京区散策マップを広げ、当然西陣だろうと目っこをつけ、堀川今出川の交差点を基点に指でなぞりながら、その名前を探した。
「お、あったぞ、そうか、この通りを五辻通と言うのか」
それは、先般、柾樹が訪ねた山名宗全邸跡の前の道を西に進み、大宮通を越えて、本隆寺の南を走っている通りにつけられた名前で、地図上でその五辻通を更に西へと辿り、南北に通る千本通を横切ってから3筋目の北側に、萌が手紙に書いてきた待ち合わせ場所の「大報恩寺」通称「千本釈迦堂」の表示があった。
地図上でその場所を認識しただけで柾樹の胸の動悸は高まった。調べると、「五辻通」という名前は、その昔、後鳥羽上皇(1180~1239)の院御所として創建された「五辻殿」がその辺りにあったことに由来するものらしいが、柾樹には、そんな命名の由来よりも、明後日という約束が少し長すぎるように感じられ、居ても立ってもいられない気持ちだった。
柾樹は、翌朝、何食わぬ顔で喫茶店にモーニングを食べに行った。案の定、ママが聞く。「淡見さん、連絡ありましたあ?」
「え、何の?」
「またまた淡見さん、頭の中はそのことで一杯のくせに」
「ママ、僕はそんなに暇じゃないですよ」
「よう言いはるわ、その人のことしか考えたはらへんでしょ」
「そんなことよりいつものモーニングセットをお願いしますよ」
「はいはい、分かりました」
そんな会話に、いつものようにママの妹が口を挟む。
「姉ちゃん、うちぴんと来たわ。淡見さん、もう逢う日、決まったはるわ。そうでしょ、淡見さんて」
そう言われて、ドキッとする柾樹に、妹が畳みかける。
「淡見さんて、うちらのまえで隠しおおせるて思たはりますのん。そら無理無理」
そう言われながらも、今日は絶対に白状などするもんか、と、柾樹は素知らぬ顔でコーヒーをすすった。やがてママが柾樹の顔を覗きこむようにしてトーストを出す。
「そんな顔したはったかて、淡見さん、もうとっくにバレてますえ。せやけど今日はもうこれ以上聞きまへん。淡見さんかて隠しときたいこと、ありまっしゃろ。せやから、いつ、どこで、そのお人に会いはるんや、なんて、今日は言う必要おへんえ。心の中で、一人噛みしめとかはるのが一番え、今日は」
まるで、柾樹の思いを見透かしているかのような会話に、この姉妹こそ妖怪ではないか、と柾樹は空恐ろしくなり、そそくさと朝食を済ませて、店を出た。
こうしてその日がやってきた。遅れてはならじと、早めにマンションを出た柾樹は、地図を片手に、指定された場所に向かった。五辻通を西に進み、千本通を横切ると、やがて右手に立派な石碑とその奥に続く長い参道が見えてくる。
昭和36年に建てられたその石碑には堂々たる楷書体で「国宝 千本釈迦堂」と刻まれ、その奥に、「国宝建造物 千本釈迦堂大報恩寺 本堂 鎌倉時代(1227年)建立」と書かれた焦茶色の駒札が立っている。西陣の最西端にあって京洛最古の国宝建造物の本堂を擁する名刹「瑞應山 千本釈迦堂 大報恩寺」だ。
両脇を民家に囲まれた細い石畳の参道がまっすぐ伸びていて、その先には瀟洒な山門が見える。そのあたりに、柾樹の逢いたい萌が待っているはずだ。柾樹の胸の高まりはまるで早鐘を打ったようにピークに達する。柾樹は、わざとゆっくりとその細い石畳を山門に向かって進んでいくが、短い距離なので、すぐに山門の入口に到達してしまう。どこに萌はいるのだろう。それともまだ到着していないのか。柾樹は、きょろきょろしたい気持を押さえて、わざと落ち着いた様子で、山門をくぐった。
と、一気に視界が開け、山門正面奥に国宝の本堂が、また、その手前の開けた場所には、通称「おかめ桜」と呼ばれる見事な枝垂れ桜が一本そそり立っている。
が、その境内のどこにも萌の姿はない。ここはキョロキョロしないのだぞ、と柾樹は自分に言い聞かせるが、気になって、そわそわと腕時計を見てしまう。ちょうど約束の時間の正午を少し回ったところだ。「おかしいな、まだ来ていないのかな」。柾樹に少し動揺が走る。「ま、いつものように、笑顔でどこからか現れてくるんだろう」と無理やり自分に言い聞かせる。
さりとて間がもたない。あまり奥まで入り込んでしまうと、遅れて萌が着いた時に困惑するだろう、とは思いながらも、柾樹は、少し奥の方へと足を進めてみた。すると、「おかめ桜」の手前右手に、ひっそりと建っている古びた小さなお堂があった。
何気なくそのお堂を見た瞬間、柾樹は、声を立てんばかりに驚いた。
( 次号に続く )