第27回 木枯し

 

木枯しに打ち震えながらも未練を残す豊後梅の葉  撮影 三和正明

木枯しに打ち震えながらも未練を残す豊後梅の葉  撮影 三和正明

 

 今年も早や11月を迎えることとなりました。美しい秋の風情が次第に冬へと移ろいはじめるこの時期になると、それまでの穏やかな空気を一変させるような強く冷たい風が突然吹きはじめるようになります。古来、それは「木枯し」と呼ばれ、昨今では、その年の最初に吹く木枯しに「1号」という称号を与えて、季節の変わり目の到来を話題にするのが、この時期の風物詩ともなっています。

 ところで、この「木枯し」という言葉ですが、じっくりと向き合ってみると、実に奥深い要素を持っていることに気づかされます。

 まずは、その言葉の成り立ちです。広辞苑の「木枯し」の項の冒頭には、木枯しとは「木を吹き枯らす意」との注釈が付けられています。ところが、実際の木枯しは、たしかにピープーと盛んに風音を発しながら木々の間を吹き抜けはするのですが、樹木そのものを薙ぎ倒しその木を枯死させてしまうほどの強い風力を有することは稀で、むしろ散り残っている枯葉を吹き散らす役割を果たしている強い季節風というのが正しい意味合いのように思えます。

 だとすれば、この風の名前は「木枯し」よりも「葉枯し」としたほうが理にかなっていると思われるのですが、昔の人々はこの風を「はからし」とか「はがらし」とは呼ばずに、「こがらし」と命名しました。一体何故でしょう。

 もともと言葉の厳密な意味以上に、その語感やリズム感に強いメッセージ性を感じとるセンスに秀でていたこの国の昔の人々は、「はからし」や「はがらし」という言葉からでは強い寒風をイメージさせる季節感が全く伝わってこず詩情に乏しい表現に堕してしまう、と考えたに違いありません。

 そこで、木も葉も共に一本の木としてそもそも一体的な存在なんだから、ここは「葉」ではなく「木」という言葉を使って自然の厳しさを語感として表わそう、ただ「キカラシ」では「ハカラシ」と同様、風の音もイメージも湧きおこってこないので、樹木の精霊を「木霊(こだま)」と呼ぶのと同様に「木(き)」を「こ」と読み、その流れから「枯らす」を濁音化させて「こがらし」というのはどうだろう、などと思索を巡らせ、ついに、その強さ、不気味さ、言葉の切れの鋭さを凝縮させた「木枯し」という名単語を完成させたのではないでしょうか(これ、全て、筆者の独断と偏見に基づく想像です。真相をご存じの方はぜひお教え下さい)。

 もうひとつ面白いと思うのは、名詞としてのこの言葉です。本来、いかにも躍動感に溢れる名詞的表現の多くは、その源流を動詞に求めることができます。例えば、「吹きさらし」という名詞は、「吹きさらす」という動詞の名詞形で、「風の吹き当たるにまかせる(広辞苑)」さまが見事に名詞化され、その語感のもつ勢いは動詞のそれを瞬間冷凍したかのように鮮やかです。同様に、「生き残り」という名詞も、「生き残る」という動詞の名詞形で、その語感に、本来の意味である「生き残ること。また、その人(広辞苑)」という意味合い以上に、「強さ、したたかさ、無念にも亡くなっていった同胞に引換え己れ一人が生き残ってしまったことへの胸中を去来するさまざまな思いを抱き続けている人」といったニュアンスが香り立ってくる表現の妙に、驚きを禁じ得ません。

 であれば、「木枯し」にも源流動詞としての「木枯らす」という言葉があってもおかしくないのですが、広辞苑に「木枯らす」という言葉は掲載されておりません。そのことからすれば、「木枯し」という言葉は、動詞を名詞化させて作られた言葉ではなく、昔の日本人が、上述の私論で述べたような言葉の創造プロセスを経て、「秋から冬にかけて吹く、強く冷たい風(広辞苑)」のことを指す固有の造語名詞を生み出した、ということになりましょう。仮にこの推論どおりに「木枯し」という言葉が創り出されたのだとすれば、それは、わが国造語史上に輝く傑作中の傑作と評すべきだ、と思うのですが、いかがでしょうか。

 こんなことを考えていると、日本人がどれほど一つの言葉に深い思いや愛情を抱き、言葉に託した強いメッセージ性やコミュニケーションパワーを大切にしてきたか、に思いが至ります。これこそが正に「言霊」の民と言われる所以だったに違いありません。

 日本人のそうした偉大な特性であり宝でもある「言霊」という先祖伝来の民族としての遺産を引き継いできたはずの私たちが、一体いつから、言葉の深い意味を真剣に考えることを疎かにし、正しい言葉づかいにこだわる姿勢を捨て去り、この国を、ただただ空疎な言葉を声高に叫ぶだけの低俗な社会にしてしまったのでしょうか。

 今こそ、言葉に真実の力を籠めるハイレベルカルチャーを築き上げてきた先人への敬意と伝統の素晴らしさを思い起こし、久しく疎かにしてきた「言霊」という深い思惟力を取り戻すことで、世界の国々や人々に尊敬される日本を取り戻そうではありませんか。

( 平成27年11月1日 記 )

追記:「こがらし」を「木枯し」と表記したのは、広辞苑の記述に準拠したためです。