堀川今出川異聞(15)
いわき 雅哉
第三章 時空往還
持豊公 陣中の閑(2)
「なんで武者が私を・・・」
柾樹は、目の前の突然の異変についていけず、ドギマギしながら後ずさりした。
「ささ、お急ぎ下さいませ、鍛心庵様。当主の山名が待ちかねておりまするゆえ」
そう言われてその武者の背後をよくよく見ると、今の今まで民家の細い隙間に立てられていた石碑と駒札のあったところが豪壮な邸門に変貌し、武者は、その脇にあるくぐり戸を押しあけて、柾樹を中に招じいれようとしている。それに先ほどから柾樹のことを、何度も「鍛心庵様」と呼んでいるが、状況の余りの激変に、しばし柾樹は、「タンシンアンサマ」という言葉の意味も理解できずに呆然としていた。
武者は、失礼のない態度で柾樹に接しているのだが、なんとかして柾樹を屋敷内に招じ入れようとする余り、ついつい柾樹の体に手を触れる。その力強さに加え、甲冑の擦れ合う音がいかにも威圧的で、柾樹は観念するほかなかった。と同時に、「そうか、鍛心庵って、俺が自分で命名したマンションの部屋の名前だ。昔は、人を特定して呼ぶ時に、その場所の名前を用いたと聞いたことがあったが、要は、鍛心庵様とは俺のことなんだな」とようやく気付き始める。
はたしてその武者が言うように、山名宗全公その人が柾樹の到着を本当に待っておられるのかどうか、は定かではないが、ここは流れに身を任せてこの武者についていくほかあるまい。柾樹は腹をくくって、その武者に案内されるまま大きな門の横のくぐり戸を通り抜け、邸内に足を踏み入れた。
と、広大な敷地のあちこちに夥しい数の兵士が完全武装のいでたちで屯し、辺りには物々しい雰囲気が満ち満ちている。そんな様子を目の当たりにした柾樹は、くぐり戸に足を踏み入れたことをいささか後悔はしたが、柾樹の前を行く武者は、何度も柾樹の方を振り返りながら、どんどん奥の方へと案内していく。
やがて柾樹は、周囲に洒落た竹藪をあしらった大きな構えの母屋風の建物の前に到着した。武者は、しばらくここで待つように、と手で制し、屋敷内に向かって大音声を発する。
「鍛心庵様をお連れいたしました」
すかさず中から野太く力のみなぎった声が返ってくる。
「おう、ご苦労だった。すぐに邸内へお通し申せ」
余りにも想定外の展開におずおずしている柾樹の目の前に、俳優の西田敏行氏に似た風貌で赤ら顔、辺りを圧するようなオーラを漂わせる貫禄十分の人物が奥から立ち現われ、玄関の大きな靴脱ぎの石畳を手で指し示しながら、柾樹に話しかけてきた。
「おう、鍛心庵殿、お見えになるのを今日か明日かとお待ち申しておりました。山名持豊にござる。あいにく戦さ寸前の状態ゆえザワザワしていて落ち着きませぬが、さ、さ、どうぞ中にお入りくだされ」
「は、はい。だが、どうして私がここに来ると・・・」
「近々お見えになるので失礼のないように、と聞かされておりましたのでな」
「えっ?」
一体、どこの誰が、目の前の「山名持豊」と名乗った男に、柾樹の到来を話しているのだろう ― すべての状況が呑み込めず一層混乱の度を深めて呆然と立ちつくしている柾樹に、当の山名は、精悍ながらも人のよさそうなニコニコ顔でなおも話しかけてくる。
「せっかくお見えいただきながら、実は今日明日にも挙兵する事態とあいなり申してな、ご覧頂いているような慌ただしさでござる。まことに申し訳ござらぬが、お茶など一服たてさせまするゆえ、ま、まあ、お上がり下され」
山名氏は、柾樹を座敷に上げ、「ささ、こちらへどうぞ」と言いながら、その大きな邸の奥の間のほうへと案内する。
「今日明日にも挙兵ですって?」
山名氏のあとについて邸内を進みながら、柾樹はそう言ったあと、あやうく「それって応仁の乱ですか」と声に出しそうになり、慌てて口をつぐんだ。
そもそも歴史で学んだ乱の名前などは、その乱が起きようとしている時点ではまだ命名もされてはいまい。ましてや今、時空を越えて対面している人物にとっては、その結末さえわからない中で命を賭けた戦いをしようとしているのだ。今は亡き先人に時空を超越して目通り願う時のマナーを心得ねばとんでもないことになる、と柾樹は急に口を重くした。
そういえば、と柾樹は、最初の山名氏の自己紹介の言葉を思い起こした。彼は「山名宗全」とは言わず「山名持豊にござる」と名乗っていた。それは先ほどの駒札にも書かれていたように彼の出家前の名だ。ということは、今、目の前にいる山名氏は出家した1442年以前の山名氏だということになり、だとすると応仁の乱(1466~1477)のはるか前の時代の時空に柾樹は迷い込んだことになる。ここはうかつなことをしゃべれない。
はたして山名氏はこう話を続けた。
「いや、先月のこと、播磨・備前・美作の守護赤松満祐の京都の邸宅に将軍足利義教公がお成りになったのじゃが、あやつ何を逆上したのか、その将軍足利義教公を屋敷内にて弑しましてな。で、今日、明日にもその弔い合戦を起こすべく、ここの兵士と嫡男教豊ならびに同族の軍とを自領の但馬で合流させ、満祐討伐軍として奴が所領の播磨に攻め入ろうとしているところでござる」
柾樹は「ははあ、世に言う『嘉吉の変』だな」と少しばかりの知識をつなぎ合わせて状況を理解しようとする。だとすれば山名氏が出家する直前の1441年6月から7月ごろにかけての時空に、柾樹は足を踏み入れているのだ。
応永11年(1404)生まれの山名氏は、この時37歳。壮年の盛りにあって戦勝を収め、赤松氏の所領を手に入れて山名家復権のきっかけを掴むことになるのだが、今、目の前にいる山名氏はまだこの勝敗の結果など知るよしもない。相手も名にしおう赤松氏。将軍を殺戮した直後で気も立っていよう。山名氏の陣営に緊迫感が満ち満ちているのも無理からぬところである。
実際、屋敷の外では、多くの将兵達が甲冑の音を打ち立てながら移動し、何か大声で号令しながら小走りに行き来する音が物々しく、小心者の柾樹の心胆を寒からしめる。が、そんな中でも山名氏は平然と端座し、赤ら顔の恰幅の良い風貌で泰然として柾樹を見つめている。「これが武門の大将というものか。さすがにテレビや映画の演出では醸し出せない独特の雰囲気だな」と柾樹はいたく感心し、目の間の山名氏に曰く言い難い好印象を抱いた。
が、出陣前という緊迫した状況下に長居は禁物。一刻も早くこの場を抜け出すにしくはないと考え、半分尻を上げつつ、柾樹はこう切り出した。
「いや、肝心のご挨拶が遅れました。つい最近、ここから目と鼻の先にある堀川今出川に鍛心庵という小さな庵を結びまして、ご近所へのご挨拶ともなれば、この界隈ではまずは山名様を最初にお訪ねせねば、と思って参上したのですが、まさかこのような張り詰めた状況にあるとは存じ上げず、まことに失礼をばいたしました。山名様のことゆえ必ずや赤松氏を打ち滅ぼし、亡き足利将軍のご無念を晴らされるに違いないとは存じますが、緊急事態の折でもあり、くれぐれもご武運長久をお祈り申し上げ、ここはひとまずご無礼させていただこうと存じます」
「これは、これは、かたじけなきご挨拶。鍛心庵殿には最初にみどもへのご挨拶をとのこと、誠に痛み入りまする。よほど山名の家のことにもお詳しいのでござろう」
目の前の山名持豊からそう言われて、山名といえば山名宗全の名前しか知らない自分に柾樹は動揺を覚えた。
「いや、その、あの、この界隈では山名氏の存在が一番と、こ、こ心得まするにより・・・」
「鍛心庵殿、そんなご無理はなさらずに」
そう言ったまま山名持豊はしばし庭先に目をやり押し黙った。辞去の挨拶をしたはずの柾樹も話の接ぎ穂がつかめず、その場で固まってしまう。
と、持豊は静かに切り出した。
「ところで、鍛心庵殿。この戦、新しい時代の始まりになるやもしれませぬ。ここだけの話にしていただきとうござるが、みどもが赤松を討つのは決して足利将軍家への忠義立てのためではござらぬ。
満祐によって命を落とされた義教公はまことに気性の激しいお方で、我が次兄持煕はそのご勘気を被り廃嫡、それゆえにみどもが山名の家を相続いたしましたが、その後そのことでこの次兄持煕とはいろいろと心悩ませることとあいなり申した。
ま、兄のことはさておき、義教公は、たとえば演能の達人である世阿弥父子を嫌われ、仙洞御所での演能を禁じられたかと思えば、その5年後には既に愛息を失って失意の底にあった世阿弥を佐渡に配流されるなど、みどものような荒くれ者の目から見てもいささかいかがかと思われるようなご所業が目立っており申した。されば赤松も己が身を案ずることもあったのでござりましょう」
そういえば、足利義教の赤松満祐に対する沙汰にも相当の問題があったと何かの本で読んだことを柾樹は思い出した。命のやり取りが日常化しているこの時代の男達にとって、毎日の緊張感はいかばかりであったろう、と思いながら、柾樹は、帰り仕度を忘れて持豊の話に強く反応した。
「そうだったのですか。で、持豊公の兄上のお話が出ましたが、ご兄弟は?」
「鍛心庵殿はよくご存じだと思っておったのですが、みどもは父 山名時煕の三男にござる」
「三男であらせられますか。ご次兄については今お話をいただきましたが、ご長兄はいかがなされました?」
「長兄の満時はみどもが17歳の折この世を去りました。次兄は今申し上げたように廃嫡の憂き目にあい、それから2年後にみどもが山名の家督を相続し、但馬・備後・安芸・伊賀の四カ国の守護大名となり申した」
「お父上は・・・」
「みどもが家督を相続した翌々年にこの世を去り申した」
「そうでしたか。で、すぐ上の兄上とはその後どのようなお付き合いを」
「父が没して2年後に、みどもの家督相続を不満として備後で兵を挙げましてな。やむなくこれを鎮圧いたしましたが、今なお心が痛みます。さりとて、兄が廃嫡されなければ今のみどもはないわけで、生きていくということへの複雑な思いがいつもみどもの心の中に澱のように溜まっておりまする」
「そうですか、そんなことがあったのですか」
冒頭の挨拶で、西陣で最初に表敬すべきは山名氏をおいて他にない、とのうのうと口にしておきながら、その実、山名の家の内情も歴史も心情も何一つ知らずにいる自分を、柾樹は、この時ほど恥ずかしいと思ったことはなかった。山名氏と言えば山名宗全と答えておけば「知識あり」と判断される受験教育の落とし子だ - 柾樹は、そう自分を思うしかなかった。
そんな柾樹には一瞥もくれずに、持豊公は話を続けた。
「我が長兄の満時は義満公からその名の一字を賜り、次兄とみどもとは共に義持公から『持』の一字を賜って、父時煕を支え、兄弟で山名の家を栄えさせんとしてきたのでござるが、今、こうして振り返ってみれば、はかない仕儀にござったと言う思いは拭えませぬ・・・。おや、湿っぽい話になり申した。鍛心庵殿にはすでによくご承知の話だったでござろう。ま、お忘れくだされ」
持豊公がそう言い終えるか終えないかのタイミングで、部屋の襖が静かに開けられ、1人の女性が上質の唐ものの天目茶碗を天目台に載せ、しずしずと部屋の中に入ってきた。
柾樹は、見るともなくその女性の顔をみてギクッとした。「確かあなたは・・・」とあやうく声を立てそうになる自分を辛うじて律しながら、持豊公の雰囲気とはおよそそぐわない上品でたおやかなその女性の表情に、柾樹の全神経は釘づけになった。
( 次号に続く )