堀川今出川異聞(11)
いわき 雅哉
第二章 閑話休題
◇氏神参拝
マンションの隣に「もとはし」という名の喫茶店があることはすでに述べた。引越しの翌朝、柾樹夫婦が葵祭を見に行く前に、モーニング定食を食べに行ったあの店だ。その時の気取りのない第一印象が気に入った柾樹は、翌朝、早速この店のドアを押しあけた。
「あら淡見さん、お早ようさん。昨日は奥さんと無事に葵祭、楽しまはりました?」
「ええ、おかげさまでゆっくりと堪能できましたよ」
「そらよかったねえ。で、どこが一番気に入らはりましたあ?」
「そうですねえ、やはり一番ジンときたのは、牛車を引いていく牛に合わせて歩いた時でしたねえ。無性に涙が出てきて困りましたよ」
「え、淡見さん、牛と一緒に歩いて泣かはったんですか。そら、変わってはるわ。第一、葵祭で牛の話をしはること自体、おかしおすえ」
「そうですかねえ。だって、歩いている人間は所詮現代人の顔だし、歩き方だってそうでしょ。だから、人間を通して平安時代を想像するのは難しいけれど、牛・馬の立ち居振る舞いは昔のままでしょう。その歩き方も目つきも表情も、僕にはたまらなかったですねえ」
「そら、そうかもしれんけど、葵祭を見てきて、牛がよかったというような話、初めて聞きましたわ。ホンマ何ともようコメントでけんねえ」
柾樹もママも、モーニングの注文などすっかり忘れて話し込めるところも、この店の商売気のなさからかもしれない。なんでも商売万能の世の中にあって、そんな点も柾樹には新鮮に映じたし、どこか世知辛さを忘れたテンポでの会話のやりとりや、浮世離れした気楽な発想などがおかしく、京都に知り合いのいない柾樹にとってこの店は、やがてなくてはならないご近所仲間となっていく。
「そうそうお腹減ってるんで、モーニングセットのCでお願いします」
「せやせや、注文聞くの忘れてましたわ。えーっと、モーニングセットのCですて、それはどんなセットでしたかいな」
「え、このメニューってママが決めたんでしょ。モーニングセットのCは、サラダ、ハムエッグ、トースト、コーヒーの4点セットだとここに書いてありますけど」
「そやった、そやった、思い出したわ。淡見さん、任しといて」
こんな調子で、ようやく柾樹の注文が聞き届けられ、その間、また、会話が始まる。
「ところでママねえ、僕、昨日はビックリしましたよ」
「ビックリて、一体何にビックリしはったんですか?」
「いや、葵祭を見て興奮して帰ってきたら、今度はマンションの前の道を氏神さんの今宮神社のご祭礼の列が延々と通っていくんですよ。一日に2回もあんなに大きなお祭が見られるなんて、さすがは京都だと感心しましたねえ」
柾樹は、昨日、一日に2つもの大きな祭を見ることができた喜びを早速報告した。
「ああ、今宮さんのお祭りも見はったん?そういえば今年の今宮さんのお祭は、たまたま葵祭とおんなじ日になったんやったねえ」
「え、毎年、2つの祭は同じ日に行われるわけではないんですか」
「だいたい似たり寄ったりの日やけどいつも同じ日いうわけやないえ」
「へえ、そうだったんですか。でもそう言う意味では、たまたま葵祭と同じ日と重なったのは、僕にとってはラッキーでしたよね」
「それをラッキーと言うてええのかどうか、はようわかりまへんけど、まあ、そういうことやねえ。ほんで、淡見さん、そのお祭り見はってから今宮神社には行ってきはったん?」
「いや、昨日は感心しただけで、お宮さんまでには行ってません。氏神様なんだから早く行かなきゃ、と気にはなってるんですが」
「そんなん思てるだけやったらあかんえ、さっさと行かはらんと。自転車やったらすぐに行けるんやさかい。何ならここからの行き方、書いたげましょか」
と、氏神さんと知ってからも呑気に構えている柾樹は、喝を入れられた。
それから1週間後、柾樹は、ママが広告の紙の裏に鉛筆で書いてくれた地図を片手に、東京から別便で送らせた折りたたみ自転車に乗って、今宮神社への参拝に出かけた。歩いているとそれほどには感じないが、自転車に乗ると、京都は北に向かって延々と登り坂が続いているのが実感できる。柾樹は重いペダルを必死にこいで、ようやく社頭に到着した。
今宮神社の歴史は古く、もともとは正暦5(994)年に、今の場所よりも南にある船岡山に創建され、長保3(1001)年に、一条天皇が現在地に勧請されたという。もっとも、今の本殿は明治35(1902)年に再建されたもので、もともとその西に昔から鎮座していた古来の疫神社と対比する意味で「今宮」と称した、と鳥居前の駒札には書かれている。
境内に入ると、中央に拝殿、その奥に堂々たる構えの本殿(「本社」とも呼んでいる)が、またその本殿の左には規模は小さいが威厳を感じさせる摂社本殿(同「疫社」)が鎮座しており、本殿に向かって左側の丘のようになった場所にも風格ある摂社や、高い階段の上にまでお社が祀られているなど、神域には荘厳な雰囲気が漂っている。
境内には、産土神として崇めてきたこの神社が、その後、荒廃していったのを嘆いて再興に努められたとされる「桂昌院」の徳を称える碑文とレリーフ像が建てられていた。桂昌院は、家光の側室で5代将軍綱吉の母となったことで有名だが、もともとはこの神社の氏子である西陣の八百屋の次女として生まれ、その幼名を「お玉」と呼ばれていた町娘だった。この「お玉」がやがて将軍家に縁づいて江戸に行き、綱吉の母という栄耀栄華を極めるようになったことから、女性が結婚で富貴の身分になることを「玉の輿」と呼ぶようになったと言われるが、この今宮神社がその氏神様だったというのである。
境内にある小さな屋根つきの囲いの中には座布団の上に鎮座する「阿呆賢さん」という今宮の奇石が置かれている。別名「重軽石」といい、この石を軽く手のひらで3度打って持ち上げると重く、次に願い事を込めて手のひらで3度撫でてから持ち上げた時に軽くなっていたら願い事が叶う、との言い伝えがある。参拝者が手順どおりにやってみては、「重さは変わらんな」とか「いや心持ち軽うなってたよ」などと言いながら立ち去っていったあと、柾樹も、手順どおりにその「重軽石」を持ち上げてみた。見た目以上にずしりと重いその石は、3度撫でて持ち上げても最初と同じ重さに感じられ、柾樹は少しがっかりした。
それでも、気になっていた氏神参拝を無事終えた柾樹は、清々しい気持ちで帰途に着いた。この頃の柾樹は、それから2ヶ月後に見る影もなく意気消沈してしまうことなど想像もできないくらい元気だった上、往路のペダルの重さとは違って、帰りはペダルをこぐ必要もないくらいに下り坂を転がり進んでいく自転車の爽快感も心地よく、京都がテーマの好みの歌謡曲などを上機嫌で口ずさみながら、あっという間に堀川今出川に到着、そのまま自転車を喫茶「もとはし」前に停め、勢いよくドアを開いた。
「おや淡見さん、いらっしゃい。どないしはりましたん、えらい上機嫌で」
「今しがた今宮神社にお参りしてきたんですよ」
「ああ、行ってきはったん。そらよかったやないの」
「おかげで気持ちが落ち着きました」
「そらやっぱり氏神さんやし、行っときはらんとねえ。まあ、お掛けやす、好きな場所に」
そう言いながら、ママは、空いた椅子を指差し、柾樹がそこに座るか座らないかのタイミングで、こう言った。
「ほんで、あぶり餅、食べてきはった?」
「あぶり餅? 何ですか、それ」
「エッ、いややわあ、淡見さん。今宮神社いうたらあぶり餅やよ。今、行ってきはったんでしょ、今宮神社に。そやからあぶり餅食べてきはったんか、て聞いてますねんやんか」
「今宮神社に行ったら、あぶり餅だなんて話、今、初めて聞きましたよ。だから当然そんなもの、食べてこなかったですよ。第一、先日、早くお参りに行ってこないと、と言われた時には、そんな話は全然してくれなかったじゃないですか」
「せやった? 言うてへんかったかいなあ。言うたつもりやったんやけど、言うてへんかったかなあ。なにせ昔から今宮神社いうたらあぶり餅やさかいねえ」
「そうだったんですか。先日、言っておいてくれれば、今日はしっかりと食べてきましたのに」
「ほんなら今度行った時にはぜひ食べてきてみて。やっぱり今宮さんにいかはったら、あぶり餅を食べてこんとねえ」
せっかく上機嫌で帰ってきた柾樹だったが、ママのこの一言ですっかり勢いをそがれ、何だかどっと疲れが出たような気がした。ママは、それを察したかのように、
「言うてへんかったら、堪忍え。ま、あったかいコーヒーでも、どない?」と初めて注文を聞いた。柾樹も気を取りなおして、「そうそうコーヒー、お願いします」と答えるとともに、この調子だと、そのあぶり餅の売られている場所を今のうちに聞いておかないと、また二度手間になると考えて、畳みかけるように質問した。
「ところで、そのあぶり餅は今宮神社のどの辺で食べられるんですか」
「鳥居をくぐって境内に入るでしょ。ほんなら右側に小さい門があって、そこを出たところにお店がありますわ。すぐわかるし。なんなら地図書こか」
「いやいや地図は結構です。もう場所も覚えたし、今の説明で十分ですから。それより、もう他に今宮神社で言い忘れていることはないですよね」
「そんなん、あれしまへん。要は、今宮神社とあぶり餅とはセットになってますよ、と言いたかっただけですし」
「なら安心しました」
「はい、あったかいコーヒー、お待たせ。おいしおすえ」
柾樹の前にコーヒーカップを差し出すママの屈託ない笑顔を見て、これが京都流ならそれに馴染まないといけないな、と、柾樹は軽く反省した。
そんな経緯から、数日後、柾樹は、再び今宮神社に出かけ、参拝後、ママに言われた通りに境内の東側にある門から外に出てみた。すると、いい雰囲気の2軒のお店が向かい合うような形で営業している。
「へえ、同じ場所に2軒もお店があるのか。さて、どちらで食べようかな」
柾樹は迷いつつ軒先の床机が丁度空席になっていたほうのお店に入った。櫛に刺したあぶり餅15本が最低単位になっていて価格は500円。注文すると、香ばしい匂いを立てながら目の前ですぐに焼いてくれる。この種の名物には往々にして期待を裏切るものが多いが、その香ばしさと程よいあぶり具合が大変に美味しく、15本の餅はあっというまに柾樹の胃の中に納まった。意気揚々と今宮神社を引き上げた柾樹は、喫茶「もとはし」へと直行した。
「ママ、こんにちわ。コーヒーお願いね」
「あら、淡見さん、今日は?」
「食べてきましたよ、あぶり餅」
「ああ今宮神社に行ってきはったん。そらよかったねえ」
「一番に報告しないと、と思って、そのまま店に来たの」
「そらお疲れさん。ほんで、あぶり餅、どっちのお店で食べはったん」
「え、どっちの店って? 確かに2軒あったけれど、どっちで食べるのが正解とかあるんですか」
「いや、別にどっちでもええねんけどね、せっかくやから、おいしいと言われてるお店の方で食べはったかいな、思てね」
「え、おいしい方のお店で? そんなの、この間あぶり餅の話を聞いた時に言っといて下さいよ」
「え、言うてなかったかいなあ」
「聞いてませんよ、行ってみてお店が2軒あったので、え、2軒もあるのか、とちょっと驚いたんですよ」
「そら悪いことしたねえ。そらどっちでもええんやけど、結局どっちにしはったん?」
「いや、どっちにしようか結構迷ったんですが、たまたま席があいてたほうのお店に入って食べました。なかなか美味しかったですよ」
「それやったらよかったやないの」
「それで、そのおいしい方のお店って一体どっちなんですか」
「えーっと右やったかいな、左やったかいなあ」
「右か左かで言われてもどっちを向いて右か左かわかりませんから、北か南かでいうとどっちなんですか」
「そんな、いきなり北か南か、て言われても分からしまへん。えーっとどっちやったかいなあ、あっち側やったかいな、こっち側やったかいな。せや口で言うてる間に図で書いたほうが早いわ」
そういうとママは、いつものようにチラシの裏に神社境内とその東にある2軒の店を図示して、
「たしかこっちやったと思うえ」
と、柾樹に示した。
「よかった、それなら正解でしたよ。僕の入ったお店」
「ほな良かったやないの」
「結果論ですけどね」
「何論でも、合うてたら大正解!」
「まあ、そうですけれど、それにしても一度に何でも言っておいてくれませんか。一回目にお宮さんにお参りして帰ってきたら『あぶり餅、食べてきた?』と言うし、食べて帰ってきたと言えば『どっちで食べてきた?』と言うし、僕にはえらいストレスですよ」
「あら淡見さん、そんなん気にしてたらあかんえ。どっちで食べてもええやないの。外れたとしてもまた行きはったらよろしい。別にお店に足生えて逃げていくわけやなし」
「そういわれればそうですけど、何でも一度に済ませたい性質ですから」
「いや、淡見さんて、意外にイラチやねんね。そう見えへんかったけど」
「いや、イラチですよ、僕は」
「イラチは損やよ。今宮神社なんかほんまに近いんやから、仮に食べるとこ間違うてたかてまた行きはったらよろしい。ほら、言うてるうちにコーヒー沸きましたえ」
柾樹は、熱いコーヒーを飲みながら、ひょっとしてこれが京都人のいけずというものか、と勘繰った。が、好意でいろいろ話してくれているママに、そんな失礼なことを言うわけにもいかず、もっと親しくなってからの後日談として話題にするしかないな、と腹にしまうことにした。が、その後「京都のいけず」論を巡って、またぞろ痛快な話がママの口から出てくることになろうとは、この時、柾樹には想像もつかないことであった。
( 次号に続く )