堀川今出川異聞(36)

いわき 雅哉

 

千本釈迦堂創建当時の事情を詳述している立札  撮影 三和正明

第五章 東国の系譜
◇ 千本釈迦堂の謎(7)

 脱兎のごとく駆けだしていった二人が直前まで読んでいた立札には、一体何が書かれていたのか。少し長文に及ぶが、文字・句読点ともに原文通りに再現した内容は以下の通りだった。

          お か め 塚 由 来

鎌倉時代の初め西洞院一條上るの辺りで長井飛騨守髙次という
洛中洛外に名の聞こえた棟梁とその妻阿亀が住んでいました。
そのころ義空上人(藤原秀衡の孫)が千本釈迦堂の本堂を建立
することになり、髙次が総棟梁に選ばれ造営工事は着々と進んで
いきましたが、髙次ほどの名人も‘‘千慮の一失’’というべきか
信徒寄進の四天柱の一本をあやまって短く切りおとしてしまった
のです。心憂の毎日を過している夫の姿を見た妻の阿亀は古い記録
を思い出し「いっそ斗栱(筆者注:ますぐみ)をほどこせば」という
ひと言、この着想が結果として成功をおさめ、見事な大堂の骨組み
が出来上ったのです。
安貞元年十二月二十六日厳粛な上棟式が行われたが此の日を待たづ
しておかめは自ら自刃して果てたのです。女の提言により棟梁として
の大任を果し得たという事が世間にもれきこえては・・・「この身は
いっそ夫の名声に捧げましょう」と決意したのです。髙次は上棟の日
亡き妻の面を御幣につけて飾り冥福と大堂の無事完成を祈ったと
いわれまたこの阿亀の話を傳え聞いた人々は貞淑で才智にたけた
阿亀の最期に、同情の涙を流して菩提を弔うため境内に宝筺院塔を
建立しだれ言うとなくこれを「おかめ塚」と呼ぶようになったのです。
現在京都を中心として使用されているおかめの面の上棟御幣は
阿亀の徳により‘‘家宅の火災除け’’家内安全と繁栄を祈って
始められたものです。また、おかめの徳は‘‘災いを転じて福となす’’
というところから、建築成就工事安全、女一代厄難消滅、商人の
商売繁栄などの招福信仰として全国を風靡するところとなって
います。なお昭和五十四年の春有志により阿亀の大像が造立され
福徳の像として祀られ‘‘おかめ信仰’’の輪が一層広がっております

                瑞應山千本釈迦堂大報恩寺

 

 柾樹はこの立札の中に書かれている阿亀の自刃の部分に反応し、先ほど姿を消したお内儀さんがこのままでは二度と二人の前には戻ってこないと、楓を伴って本堂にひた走ったのだった。

 が、本堂の何処にも、先ほどまで穏やかに二人を迎えて、この本堂が建立されるに至った経緯を詳しく話してくれた小粋で瀟洒な彼女の姿は見当たらなかった。

 柾樹はもう万事休したな、と諦めて、本堂の回廊部分に座りこむ。そんな柾樹を尻目に、ここではないかと思える場所に足を向けては一人背伸びをしたり暗がりを覗きこんだりして必死にお内儀を探し続けている楓の様子が余りにもいじらしくて、柾樹は思わず声をかけた。

「楓、もう探さなくてもいいよ」

「どうしてですか、柾樹先輩。あの立札に書かれている通りなら、お内儀は自ら命を断たれてしまいますよ。それでいいんですか」

「楓。さっきお内儀が『少し疲れました。しばらく休ませて下さい』と言われたのは、実は『もうお話しすることは全てお話しましたので、私はこれで失礼しますね』ってことだったんだよ。それに気が付かなかった僕が鈍感だった。二人でここに座ってお内儀さんにお礼を言おう」

 楓は、「そんな・・・」とやや不満気な表情をしながらも、柾樹の座っている場所にきて、そっと柾樹の横に座った。柾樹は、今の今まで必死になってお内儀を探しまわっていた時の素直で機敏な子供のような楓とはまるで正反対の、品の良い身のこなしで静かに自分の真横に座る楓の大人びた雰囲気に、年甲斐もなく鼓動の高まりを覚え、しばらく言葉を発することができなかった。

 やがて楓が口火を切る。
「先輩。こうして落ち着いて振り返って見ると、先ほどの立札の説明に私はちょっと疑問を感じました」               

「疑問? どんな疑問?」

「だって、おかめさんとご主人との二人きりの場で、おかめさんがマスグミのアイデアをご主人に提案したことで万事がうまくいったんですよね」

「そうだよね」

「だったらおかめさんのアイデアで危機を乗り越えたなんて話が世間の人に漏れ聞こえるなんてことは起こり得ないんじゃありません? にも拘わらず、おかめさんが自殺されたというのはどこか不自然で話として無理があるように思えるんですが、柾樹先輩はどう思われます」

「そう言われてみればそのとおりだなあ。それに僕たちが会ったおかめさんは、あのおかめ塚の横に建てられていた大きな像のお顔とは似ても似つかない風貌だったのも気になっていたんだ」

「うちもです、先輩」― ついつい出てくる楓の大阪弁が懐かしさと青春の甘酸っぱさを想起させる。

「楓。ひょっとしてこの話には、実はまだ誰にも知られてへん真実の秘話が隠されてるのんと違うやろか」― 柾樹の口からも大阪弁が飛び出す。

「うちもそう思います。確かに、棟梁であるご主人が行き詰まりはって、それをおかめさんが助けはったというのは事実やったとしても、そこから自殺に話が及ぶのは、何ぼ何でも無理があります。そこに話が行くのはなんでなんでしょうね」

「おかめさんが消えてなくなりはったということはほんまにあったんとちゃうん(違うん)かなあ。それを自刃しはったということにして、夫の名誉を守るためという名目で理由づけをした、っちゅう推論はどうや」

「先輩、凄い。ただ、なんで消えてしまいはったんですう?」

「そこがポイントやけど、なんでやろな。楓やったらどうするとこや?」

「うちやったら夫婦二人の内緒ごとは誰にも言わんと、そのあとの大成功の名声に酔いしれて毎日ルンルンで暮らすと思いますけど・・・。そんなん消えてなくなる理由なんて見当たりませんもん」

「そうやなあ。けったいな話やなあ」

「先輩、それともう一つ突き止めとかんとあかん問題もありますよ」

「もう一つの問題、て何や」

「私ら二人が会うてお話をきいたおかめさんと、さっき見た大きなおかめ像のおかめさんの風貌がなんであんなに違うんやろ、いうことです」

「せやせや、その通りやなあ」

「うちはどうもお内儀のお名前がおかめさんだったということから、後世ひょっとこ・おかめに登場してくる円満で福々しい表情のおかめさんに結び付けられてしもて、大像もそんなデザインになったんと違うんかなあ、という気がしてしょうないんです」

「なるほど楓はうまいこと言うなあ。そら、そうかもしれん、よし、この問題はそれが答やということにしとこ。となると残された謎は、何でおかめさんが姿を消したんか、もっと言えば姿を消さんといかんようなどういう事情があったんか、っちゅう部分に絞られてくるなあ」

「そうなりますね。そもそも姿を消した理由を自殺説にしてしもては、却って話がややこしなります。せやかて当時大きな建築現場を請け負うたはった棟梁のお内儀さんが突然自ら刀で命を断つような事件が起きたら、それだけで世間は大騒ぎになってしもた筈で、おかめさんがわざわざ大騒動を巻き起こしたような流れになってしまいます。大騒ぎを自分で起こしといて、『この身をいっそ夫の名声に捧げましょう』と言うストーリーにはやっぱり無理がありますもん」

「そらそうや。自分のアドバイスのおかげで首尾よくいったことがバレてはまずいと思てるおかめさんが、わざわざ自分で騒ぎをおこすちゅうのも合点がいかんもんなあ」

「先輩。ここはちょっと『柾樹・楓真実調査隊』を結成して真相解明に乗り出さんといかんのと違いますう?」

「『柾樹・楓真実調査隊』か、おもろいこと言うなあ、楓は。ちょっと長ったらしい名前やさかい、柾樹の頭文字のMと 楓のKとでチームミッキーっちゅうのはどうや?」

「はい、隊長!」そう言って敬礼する楓の可愛さに柾樹は思わず肩を抱き寄せたい衝動に駆られたが、そんなことで嫌われたくないという臆病心から、結局はその場で意味もなく立ちあがり、わざと豪快に笑いながら、敬礼したまま柾樹に微笑みかけている楓の顔を見下ろした。

「ほんで楓。そのチームミッキーの最初の調査活動は何から始めたらええんやろか」

「うちもわかりませんけど、このお寺でまだ見てない場所に調査行動をかけるというのはいかがでしょう、隊長」

「まだ見てないとこ、て、一体どこ?」

「この本堂の奥に『霊宝館』という建物があります。そこに行ってみませんか。何かヒントが見つかるかもしれませんから」

「そら、ええこと言うた。さすがは美術館の学芸員や」

 狭い境内ゆえに二人はあっという間に霊宝館に辿りついた。すかさず楓が入口の扉に手をかけ「隊長、どうぞ」と言いながら引き戸を開ける。そう言う「乗り」が好きな柾樹もまたいかにも隊長然として鷹揚に頷きながら館内に足を踏み入れた。楓が入るのを待って館内正面の展示物に目を向けた二人は、突然「こ、こ、これは」と声を上げ、まるで全身に電流が流れたかのようにその場に立ちすくんだ。

( 次号に続く )